少し頑張れば手が届くような、日常と非日常の中間地点

こんばんは、森林です。

 

昨日の記事では「わかりやすい」が正義になっている世間の風潮や情報伝達のスピードが加速度的に上がっていることを踏まえて、「遅いインターネット」なるサービスがあることを紹介しました。

 

今日は「遅いインターネット」の概要と、それを踏まえて考えた僕の意見について書きます。

 

 

 

【遅いインターネットとは】

「遅いインターネット」は早すぎる情報化社会に警笛を鳴らしたうえで、「読む」楽しさを取り戻すためのメディア運営と、「書く」ことを学ぶワークショップ(PLANETS CLUB)とをあわせる運動だ。

 

note.com

 

主催者である宇野さんは「距離感」や「進入角度」という言葉を多用している。「爪や髪の毛のように、あるいはトイレのように。午後4時くらいの距離感で」というコピーのもとこの活動をしている。

 

爪や髪の毛のように、しばらく放っておいたら「あれ、伸びたかな」と気になるようなものとか、トイレのように普段は気にしないけれど絶対に必要なものとか、午後4時のように一日の折返しは過ぎているけれど諦めるにはまだ早い時間とか、そういったものたちのもつ「距離感」や「進入角度」もいいんじゃないか

 

 

今のインターネットは、早過ぎる。以下の記事にもあるけれども、『今の自分は「普通の」「みんなと同じ」「まとも」な側だと、失敗した人や目立ちすぎた人に石を投げることで確認して、安心するための道具になっている』し、『大喜利のように、いま、タイムラインの潮目で叩いていいとされる相手にいちばん賢く石を投げた人がたくさん座布団をもらえるゲームに夢中になっている』。

 

slowinternet.jp

 

 

 

【距離感と進入角度】

 

宇野さんは遅いインターネットには適切な「距離感」と「進入角度」があるとしたうえで、思い付きでインターネット上で募集した10人と鎌倉に遊びに行った時の話をしている。

 

半径5メートル以内にある「日常」ではないけれども、海の向こう側の「非日常」でも無い。ちょっと頑張れば手が届くような距離感と、少し異質な入口で始まる「中間地点」こそが「遅いインターネット」だ。

 

僕もこれには身に覚えがある。

中学生の時に友人3人と秋葉原に遊びに行った時。

高校生の時にママチャリでスカイツリーまで行った時。

大学生になって友達と箱根に泊まりの旅行をした時。

 

それらは「日常」ではなかったけれども、「非日常」でも無かった。そういうちょうどいい距離感の世界を、インターネットのメディアを通じて取り戻そうとしている。

 

ちょっとそわそわするけど、踏み出せなくはない領域にあるモノ。それが遅いインターネットが目指す世界だ。

 

 

【変わった日常】

だが、流行病の影響によりそれまで「日常」とされていたものが無くなってしまった。外出自粛を強いられ、ご飯の誘いすら憚られるような世の中では、日常と非日常の間を斜めに触りに行くようなことすらできない。

 

なので、全てがオンラインに移行しつつある中での「遅いインターネット」の発信は非常に大きな意味があるのではないかと思う。日常が失われ全てがインターネットに頼らざるをえなくなった今、速いインターネットの渦に疲弊してしまう人もいるはずだ。だが、その流れに飲み込まれないように、少しだけ遠い世界の話を見てみるのはどうだろうか。

 

slowinternet.jp

 

本来なら遅いインターネットが目指すべき中間地点には、オフライン上にて自分の足で行くのだと思う。宇野さんもちょうどいい距離感のインターネットの恩恵を受け、知らない人同士の鎌倉旅ができたわけだし。だからゆくゆくは中間地点を提示してくれるオフラインイベントも開催されるはずだ。

 

 

【手間をかけるということ】

 

つまるとこ「遅いインターネット」とは、手間をかけようということだと思う。分かりやすく結論を見出すインターネットでは何も生み出さないし、少しじっくり考えるからこそ見える景色も絶対にある。

 

著書のAmazonレビューには似たような想いが綴られている。

 

より早く、より多くの情報に触れたくてダイヤルアップ接続の音を聞きながらじりじりと待っていた、あの時間にこそ価値があったのだと今は思う。

世界に繋がるのを息を潜めて待つ間、一つの問いに対して思考を巡らす。仮説を立てる。もしかしたら、自分の導き出した結論が解なのかもしれないという高揚感。

 

www.amazon.co.jp

 

実際、宇野さんが書く文章は一文がとても長い。ウェブメディアに前提とされる「読み手に負担を与えない文章」を避け、しっかり考えて読まないと頭に入ってこないような文章。読み手に「読む手間」を与えながらじっくりと考えさせるウェブメディア。それこそが「遅いインターネット」だ。

 

 

僕も手間がかかることが好きだ。制限が多くなってきても紙タバコを止めるつもりはないし、ライターじゃなくてマッチで火をつけることもある。フィルムカメラ写ルンですで撮った写真は、iPhoneで撮ったそれらとは別物に映る。

 

素早い、効率を重視している早い世界では、自分はたぶん生きられない。同じような考えを持つ友達も多いが、もっと多くの人が「手間をかける楽しさ」に共感してくれれば、世の中はもっと良くなる気がする。

 

たまにしか使わないマッチ、写ルンですに現像された友達の写真、少し伸びた爪とか、だらだらしちゃった午後4時のようなモノを大切にしたい。そんな「遅いインターネット」の中で、今日も生きている。(2,239文字)