1月22日、トランスレーションズ展に行った

昨日、21_21 DESIGN SIGHTで開催されていた「トランスレーションズ展」に行きました。

 

 

 

【昨日のこと】

 

木曜日に仕事が決まり、来週から働くことになった。勤務日数は週4日で毎週平日休みがあるとはいえ「無職の平日」を過ごすことは暫く無いと思うと、それなりの平日を過ごさないといけない、といったような使命感に駆られてしまう。

 

今になって思えば「無職の平日」にするべきことは昼間から酒を飲んだり、昼まで寝て夜になって出掛けるなど「時間を無駄にすること」な気もするが、そんな平日はもういやってほど過ごしてきた気もする。

 

自転車のパンクを修理してもらう、という用事はあったが、それ以外の用事は無かったので、artcapesというサイトを利用し、昼間に時間を潰せるような美術展や絵画展、写真展を探してみた。

 

artscape.jp

 

その中で一番興味を惹かれたのは21_21DESIGN SIGHTで開催されていた「トランスレーションズ展」だった。

 

www.2121designsight.jp

 

 

【トランスレーションズ展】

 

トランスレーションは直訳すると「翻訳」という意味だ。

 

(以下サイトより抜粋)

 

「翻訳」ということばは、ある言語を異なる言語に変換すること、そしてそのプロセスを経て意思疎通を図る行為などを連想させます。その行為は、古くから異文化と接触し理解するための手段として行われ、今も私たちの日常のなかで続いています。

 

「翻訳」を介したコミュニケーションは、文字による言語だけではなく、視覚、聴覚といった感覚や身体表現などを用いて、送り手と受け手をつなぐ「架け橋」の役割を担っています。そして、その過程で生まれる解釈や変換、表現は、デザインやアートにも共通します。

 

本展では、ドミニク・チェンの「翻訳はコミュニケーションのデザインである」という考えに基づき、「翻訳」を「互いに異なる背景をもつ『わかりあえない』もの同士が意思疎通を図るためのプロセス」と捉え、その可能性を多角的に拓いていきます。

 

AIによる自動翻訳を用いた体験型の展示や、複数の言語を母国語とするクレオール話者による映像、また、手話やジェスチャーといった豊かな身体表現、さらには人と動物そして微生物とのコミュニケーションに至るまで、さまざまな「翻訳」のあり方を提示する作品を紹介します。

 

本展が、「翻訳」というコミュニケーションを通して、他者の思いや異文化の魅力に気づき、その先にひろがる新しい世界を発見する喜びを感じていただける機会となれば幸いです。

 

異国語を母国語に変換するのも「翻訳」、内側から湧き出る感情を言語化するのも「翻訳」、耳が聴こえない人のために、外界の音を手に振動として伝えるのも「翻訳」。

 

当人にとって、1ターンでは理解できないあらゆるものが「翻訳」の対象と成り得るのだろうし、その表現の仕方は多岐にわたる。人に何かを伝えようとする行為そのものを「翻訳」と表しても間違いではないだろう。

 

分かり合えないはずのモノ同士の交流プロセスを、様々な観点からまとられている本展。展示内容のクオリティの高さやそこで得れる知見の数には満足感があったし、体験型の展示も多く、とても楽しめる展示会だった。

 

以下では特に印象に残った2つの展示について書こうと思う。

 

 

【①翻訳できない世界のことば】

 

積読」という言葉がある。これは「せきどく」ではなく「つんどく」と読む。意味は「買ってきたまだ読んでいない本を、まだ読んでいない他の本の上に積む」という意味だ。これは日本語であれば簡単に伝わる1つの単語だが、他言語に翻訳するに適した言葉は無く、文章として説明をしなければならない。

 

このように世界の色んな国にあふれている「翻訳できない単語」をイラストと一緒に紹介しているのが「翻訳できない世界のことば」だ。

 

www.amazon.co.jp

 

本展では作中に出てくるイラストを一枚づつ印刷し上から吊り下げるという、立体的な配置を用いて展示されていた。「世界にはこんな表現があるんだ」と感心と驚きが得られると同時に、深く共感できる言葉もある。中でも、特に面白いと思った2つの言葉を紹介する。

 

 

PORONKUSEMA(ポロンクセマ)- フィンランド語】

トナカイが休憩なしで、疲れずに移動できる距離(約7.5㎞)

 

SAUDADEサウダージ)- ポルトガル語/ガルシア語】

心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望  や、または、愛し失ったものへの郷愁

 

ポロンクセマは「トナカイがおる地方でしか通用しないやろ、なんだこの限定的な言葉」という面白さがあるし、サウダージに関しては「ポルノグラフィティ……伏線……??」という驚きがある。

 

「エモい」みたいに、「なんとなくずっと心に残っているもの」を表す言葉として「サウる」って流行んないかな。「サウってんじゃーん」みたいな。これはこれでサ活を表す言葉みたいだな。

 

上の2つ以外にもかなり面白い言葉が沢山あった。面白そうな本だったな。買えば良かったなあ。

 

 

【②HUMAN×Shark】

「翻訳」には異なるものをもつAとBを近づけるという役割があり、本展示にもいろいろな種類の「翻訳」が見られたのだが、字面として一番目を引く展示は「HUMAN×Shark」だった。

 

aihasegawa.info

 

近くて遠い。人間と恋愛するのは骨が折れる。言葉を尽くしても、五感や行動で訴えても分かり合えない時がある。例えば犬の方が人間より信用できる気がする。

どうせ分かり合えないのならばいっそ人間から遠い、コミュニケーションの可能性が未知の生物と繋がってみたい。例えば「サメ」と。

 

 

「異種とむきあう」展示のひとつで、人とサメが愛し合うことを目的とした実験。鮫が美味しいと感じるような香水や、性的興奮を助長する香水などを人体に振りかけ、サメに求愛させるというもの。鮫と愛し合うという言葉の強さと、隣のプロジェクターで流れていた人間に鮫が群がる映像が衝撃的だった。

 

ただ、それをもって「愛し合う」という表現が達成されているかは疑問に思った。鮫は匂いで発情し、交尾に盛んになっているだけで、そこに愛の要素は無いのではないか。「愛し合う」って言葉は相互的なものなので、鮫が人間を愛してくれるかどうかは人間側から分析した情報でしか判断できないので、結局それは一方通行的な愛の押し売りのようなものになっているのではないか……と考えた。

 

 

【最後に】

 

普段考えないようなことについてごちゃごちゃ考えるのは、楽しいし面白い。「翻訳」について、その言葉が持つ意味を書き替えられ、色んな観点から思考を巡らすことが出来た展示会だった。身近な話題を扱っていたり、展示として体験が出来たり、視覚的に面白い展示も沢山あったので、誰かと一緒に行っても面白いかもしれない。