1月13日

最近のことです

 

 

【2022年】

年が明けて2022年になりました。社会人として初めて迎える年末年始は仙台に行ったり箱根に行ったりしていたら終わっていました。今年はカタールワールドカップがあるので、それが結構楽しみです。

以下今年の目標です。

  • 一人暮らしを始める
  • 小山田荘平くらい髪を伸ばす
  • 月一でnoteを書く
  • 小説賞に応募する
  • エンダースキーマの財布を買う

 

目下の目標はこのくらいです。今年の裏メニューは孤独と向き合う年にする、です。

今の仕事を続けられるかどうかわからないけれど、エンジニアとしてキャリアを歩みたいわけではないので、次の仕事の足掛かりになるような一年にしたいです。

 

【明け方の若者たちを観ました】

晦日に公開された映画「明け方の若者たち」を観ました。感想をnoteに書いたので読んでくれると嬉しいです。

note.com

 

【絶望を求めて生きている】

去年の暮れに友人に言われた「本当の絶望を知らない」という言葉が忘れられません。今年25歳になる自分が大きな絶望に直面せずに生きてきたことをラッキーとだけ思っていたのですが、いざ大人になってみると、若いうちにとんでもない絶望に苛まれたか否かという人生経験はおかしな話だけど、羨ましいとすら思ってしまうようになりました。

 

絶望状態になると否が応でも考える人になれるんじゃないかという期待があります。最近のトレンドは「センスがある=何を考えているか=拘り」なのですが、自分自身は考えている人間ではあるけれど、深く考えられずにいるのは本当の絶望を知らないからなんじゃないかと思っています。

 

ドライブマイカーを観た時に「ああこれは自分を狙って作られた映画じゃないな」と思ったのはそういうわけでして、周りの友人知人がドライブマイカーを絶賛する中、自分はタバコ吸いながら運転するシーンいいなあ、くらいにしか思えなかったのです。あの映画はどんな絶望を抱いていたとしても、生きていくしかないんだ、というまあそこまで前向きでもないけれど、これまでの辛く苦しい人生に優しい肯定を添えてくれる映画でして、自分のようなずっと楽しく生きてきた人間にしてみれば何の話をしているかさえ分からなかった。それがひどく寂しく、自分の限界を知らしめされた感覚さえありました。

 

だけどそんな自分が悲しく思えるほど自己肯定感が無いわけでもなく、結局自分のことは大事で、大好きで、どうしようもない人間なことには変わらず今日も生きているのです。絶望とかマイノリティとか生まれ持った性質による生きづらさとか、それらを内包し肯定してくれる作品が評価されつつ中、自分のような意図は感じ取れるけど対象ではない人間はつらく寂しいものがあります。明けわかみたいに本気で生きてきたわけでもないし、死ぬほど誰かを愛した経験もない自分に、書ける話があるのでしょうか。

 

ただ、まあ、なんというか、そんな自分だからこそ、絶望を感じることができない人間の話、みたいなのは書ける気がします。書きたいという気持ちの方が強いかもしれない。今年はそんな風に、最近思っていることを大きなテーマとして小説を書きます。

 

目標は口にすればいいというけれど、断定口調になったそれを見た途端少し冷めてしまう自分もいて、やるせないですね。それをこんなブログにしか書けない自分は、まだどこかで大丈夫だと思っているのかもしれません。

 

暗い話になってしまいましたが、今年の僕はこんな感じです。

今年もよろしくお願いします。