アイスと雨音を観た
松居大悟監督、主題歌・客演MOROHAの映画「アイスと雨音」を観た
【初めて聴いたMOROHA】
俺が初めてMOROHAを聴いたのは大学2年生の終わりくらいだった。バンドをやっていた高校の友達が引き語りライブをするというので、本八幡にある3rdステージというライブハウスに向っていた。ライブは18時半からだったが、駅には18時前には着いていた。コンビニでファミチキを買った後に、その友達がインスタに挙げていたApple Musicのスクショを思い出した。それがMOROHAの遠郷タワーだった。
そのストーリーを思い出して、なんとなく彼に会う前に聴いておくか、と思って聴いたのが最初だった。最初は遠郷(えんきょう)タワーだと思っていた。語り口調から始まる曲を聴いたのは思えば初めてだった。それでも合唱を歌ったり演劇を観に行ったりしていたから歌に対する視野は割と広く、だから最初は語ってその後にメロディーが入るんだな、と思っていた。いつ歌うのかなと聴いてたら曲が終わってビックリしたのを覚えている。ポエトリーリーディングという音楽ジャンルがあるのすら知らなかった。
曲が終わった後、さっきと同じ声で「一度だけ たった一度だけ」と聴こえてきたのでそのままもう一度聴いた。殆どの歌詞は聴き取れず、何言っているのか分からなかったけど、冒頭の語り部の解像度に胸を打たれたことと、ギターの音色が矢鱈きれいだったことと、「良かった、本当に良かった 故郷を捨てて あの街を捨てて しがみつく手を振り切って良かったと、言えるようにならなくちゃ」というサビのフレーズだけがやけに頭に残っていた。それが初めて聴いたMOROHA。
そこからアルバムを一通り聴いて、tomorrowを繰り返し聴くようになって、MOROHAの色んな曲を好きになった。「スペシャル」「夜に数えて」「バラ色の日々」「拝啓、アフロ様」。MOROHAはガツガツとした曲よりも、メロディーが柔和で直接的でなくリリカルな、それでいて少し泣いてしまうような曲が好きなのだけれど、それは初めて聴いた曲が「遠郷タワー」なことが影響しているんじゃないかと思う。
【「アイスと雨音」を観た】
そして今日、さっき「遠郷タワー」が主題歌になっている「アイスと雨音」を観た。
ある戯曲の公演のオーディションに合格した6人の男女が公募劇団にて過ごす様を、公演1か月前から本番当日まで追っていくドキュメンタリー風映画になっている。70分ノーカットの映画なのが凄く、その分映画としてのリアリティや目を離してはいけない力が付与されているのだが、それはMOROHAを生で観た時の感覚とすごく似ている。
映画のパートとしては、MOROHAパート、現実パート、演劇パート(演劇パートではアスペクト比が変わる)に分けられる。ワンカットの映画なので場面の転換が無く、時間列はたまに白い文字で「2週間前」みたいな感じで知らせてくれる。主人公の想(こころ)ちゃんがずっと画角に入っていて、初めは時間が進むことを上手に呑み込めないが、映画が進むにつれ演劇パートと現実パートを行ったり来たりするので、時間が進むことに違和感を持たなくなる。
戯曲や演劇としての内容は掻い摘んでしか伝えられないのでそれ自体の面白さは分からなかったけど、MOROHAの歌詞やカメラ目線アフロの学級委員の冷ややかな目、怜子の「わたし今ここに居れて幸せ」など、本気の言葉がたまに出てくるのが良い。
BGMとしてしか存在してなかったMOROHAが、板の上で四文銭を歌う最後だけ、皆から認識されてる演出が好きだった。皆が舞台に上がった時の拍手の音が雨音と同じように聴こえるのも好きだった。
だけど映画や物語に首尾一貫さを求めてしまう性分なので、「最後劇場忍び込めるのもあり得ないしセット全部あるの意味分かんなくね?」とか言っちゃうの野暮だよなぁと思いつつ、それに対して邦画!演劇!センス!で納得させられちゃうのも難しい、というか気に食わない。そんなこと言ったら、ドキュメンタリー映画であるはずのこの映画にて、MOROHAの存在自体が無視されている(たまに認識されたり画面に語り掛けたりする)のも訳わかんなくなってしまうのだけれど。
とは言え「セッション」とか「ボラプ」みたいな音楽エンドで終わる映画は大好物だし、MOROHAで最後バーンって終わるのもエンディングの「遠郷タワー」も良かったから良いもの観た〜って気分にはなってる。人に勧める事は無いだろうけど、観て良かったなぁと思える映画だった。
【「遠郷タワー」のPVが最高だった】
観終わった後にYoutubeに上がっている「遠郷タワー」のPVを観たら良すぎて泣いてしまった。東京を目指してきた人や歌や物に触れる度に、東京が電車ですぐの場所にあった自分の環境を恨み、ああ俺も上京とかしてみたかったなあと何にもならない気持ちになる。