自意識が強くて嫌になる

もうすぐ25歳になるのに未だに自分のことしか考えていない。他人が何を考えているか本当の意味ではひとつも理解しようとする気が無いくせに、自分のことを見ていないと認められている気がしなくて途端に寂しくなる。寂しい。寂しいけれど、自分のことが大好きなので、他人や他の何かで満たされなくても生きていけてしまう。この先、何年もひとりで生きる必要があるとしても、過去を擦り続けながら生きていける予感がある。でもきっとそれは人として健全な状態では無いから、自分でも知らないうちにこじれて可笑しくなってしまうだろうな。

 

【6月7月の話】

先月は姉が結婚したり羊文学のライブに行ったり神奈川文芸賞に小説を応募するなどしていた。

 

姉の結婚式で、姉が両親への手紙を読みながら泣いていたのが印象的だった。俺は長男だけど一番上ではなかったから若い父親の怒りやイラつきの相手をすることが全然なかった。反対に姉はかなりの回数それを受けていたような気がする。結婚式の時にはそれを深堀して話すことをしていなくて、俺が思っているよりも過去のことはどうでもいいと思えているのかもしれない。今度会った時にでも聞いてみたい。

 

神奈川文芸賞に「六月のジェラード」という4000文字くらいの短い小説を応募した。高校生の僕が、一個上の先輩と横浜にデートする話だ。「ランドマーク」「翼」「海」の3つの要素を入れ込む必要があって、翼を物語が転換するスイッチとして使ってみた。文字数制限があったので最終的な内容はかなり削れてしまったけど、それはそれで納得できるものができたので良かった。削れていないバージョンの方が読んでいて楽しいから読んでほしいと思う。

 

6月の終わりに、1年くらい前によく会っていた人から久しぶりに連絡が来て、また会うようになった。今度の休みには海に行くつもりだ。

 

【同棲についての小説】

6月の終わりに友達から「小説書こう」と誘いを受けて、「同棲」をテーマにした小説を書いている。ここ3か月くらいで、自分の周りで同棲を始めた人が沢山いて、結婚するかどうか分からない恋人と一緒に暮らすことについての意義とか、この人と生きていく覚悟とか、自分だけの人生を諦められる条件とか、そういうことをよく考える。

 

ただ周りの仲の良い友達の同棲話を私小説みたいに書いているだけで、テーマとか何について書きたいのかもよく分かっていない。誰のためだとか、なんのためにだとか、そういう部分の話。

 

だけど、なんか、一緒に暮らせるくらいの関係性の人がいること、自分のことや自意識で沢山になってしまいがちだけど、相手は当人と一緒に暮らしても良いという決断をしてくれていること。

 

同じくらいの覚悟をもってそれに挑んだ相手がいるという、その状況自体の貴重さを書けたらいいな。それが良い。

 

【最近のこと】

5月から住み始めた場所は、最寄駅に電車が2本通っていて、連れ二人がそれぞれの路線上に住んでいるからという理由だけで住み始めた。東京駅まで歩いて40分というよく考えたっら凄い都心に7.5万円も払って住んでいるんだけど、今年の秋に沿線上に住む連れ二人が引っ越しをしてしまうらしいので、俺は今の家に住む理由が無くなる。大手町に本社がある会社に勤めているので、出社の際はそれは便利なんだけど、ずっとリモートで家にいるわけだし会社は月一回しか行かないので全然千葉とか埼玉とか神奈川の郊外に住んだ方が広いし安いし良いことしか無いじゃんね。でも引っ越し先は転職先が決まってから決めたいので、26歳になる年の秋冬に転職して、次の年の更新月が来る前に引っ越せばいいから、あと2年くらいは住むんだろうな~26歳か~怖いな~

 

同棲とかそういうの考えても今の家を引っ越す未来も理由もあまりないので(引っ越したくないわけでは無い、キッチン狭いし)少なくともあと2年は住むことになるんだろうな。どうせ引っ越し業者にお願いするんだから今のうちに増やせるだけ物増やしとけ。何の話だっけ。今日は晴れみたいですね。