Twitterと煙草をやめて一ヶ月経った

正確には完全に辞めたわけでは無いのだが、Twitterはアンインストールをしたし、煙草も年末の旅行で引くほど吸ってからは一箱しか吸っていない。どちらともが頻度がかなり少なくなった。

 

理由として、それを止めることが自分のためになると思っていたのだが、結果的には自分が想像していたような感覚にはなっていない(もっと清々しい気持ちになれると思っていた)し、目先の動揺やストレス、自意識が多少マシになっただけで違う側面で自分が追い込まれている現実だ。結局のところTwitterをやってようがなかろうが、煙草を吸ってようが吸ってまいが、朝は起きれないし、仕事は出来ないし、自分以外の人生を羨んでしまう。

 

俺とTwitter

中学生の時からTwitterをやっていて、高校大学はTwitterをやり過ぎていて、社会人になってからもやっていた。なんなら社会人になってから二年くらいは考えるOLとか鈴木とか内情を綴ってバズってるアカウントがめちゃくちゃ羨ましくて、それっぽいツイートを頻繁にしていた。並行してnoteも書いていたが、就活のことについて書いたnoteがそれなりに読まれ、そのツイートもほんのちょっとバズり(100いいねくらい)人生が変わるカモ………!?と期待したものの何の成果も得られず四年が経とうとしている。

 

Twitter経由で売れていったライターをここ数年で何人も目にする度にマジで羨ましいな~と僻み妬み恨みが溜まっていっているが、彼らほど本腰を入れてSNSに注力していた訳では無いし、かと言ってSNSでバズるのを完全に諦めていた訳でも無い一番中途半端な状態を二年くらい続けていたらTwitterが激キモSNSになってしまった。

 

Twitterの挙動がおかしくなっているのはある程度のユーザーなら周知の事実だろう。なんかTLにフォロー欄だけじゃなくておすすめ欄がデフォルトで出てくるようになってからきな臭さは感じていたんだけど、名前がXに代わってからは本当に終わってしまった。Twitterキショ過ぎて直ぐにアンインストールして、代替SNSとして台頭しつつあったスレッズを始めてみたものの、全く興味もないユーザーの、n十回みた経営術や女が胸を強調した写真、当行の最初に「これはやばい」から始まって、一番最後に「でも一番ヤバいのは…」って中途半端なメソッドを提示するSNS有識者の投稿を観るのが嫌過ぎてやめてしまった。今スレッズやってるのってカツセマサヒコとラランドの作家のライプだけだと思ってる

 

でも数字を取るために頑張ってるのは凄いと思う。お金は欲しいのに何もしないだけの自分が責められるような気持ちになることもある。コムドットを見た時に純粋に馬鹿にする気持ちがわかないのはそれまでの彼らの努力やマーケティングは確かなものだから。著書を腐したりするのも気分を害する。

 

書かなくても良いnoteを続けて、これが将来の自分のためになればいいなと思っているから書かなくても良いnoteを書いているけれど、本来であればSNSをちゃんと運用して自分の名前をセールスすることが必要なんだよな。それを出来ている人から目を背けたくて、そこから降りたくてSNS断ちしているのかもしれない。本当に?

 

最近はSTRESSCLUBインプ稼ぎも広告もアラビア語も何も居ない良いインターネットを眺めています。

 

俺と煙草

高校生の頃に「死んでも煙草は吸いたくない」と言っていたのに20歳になった瞬間、友達が適当に選んだ番号の煙草を買って津田沼駅前の2階の喫煙所で吸ったのが俺の初喫煙。そこからバイト先の先輩と仲良くなってあれよあれよと喫煙者になっていた。でも俺の中で煙草が美味しいって感じる頻度って多くなかった。酔った時と寝起きと濃いもの食べた後は美味しいけど寝る前とか仕事中とかに吸う煙草って全然美味しくないんだよな。体質もあるんだとおもうけどそこまで酒も強くないし。酒強い人って強い煙草吸ってるイメージあるわ。

 

未成年だった時期に日雇いのバイトを何回かしたことがある。倉庫で商品を仕分けるだけの簡単なバイトだったのだが、その日同じ作業場所に居た兄ちゃんと仲良くなった。帰る方面が同じだったので、車で来ている兄ちゃんに最寄り駅まで送ってもらった。そん時の自分はまだ「死んでも煙草~」時期だったから、車中で何本も煙草を吸う兄ちゃんに「なんで煙草吸ってるんですか?」と聞いてみた。兄ちゃんは「コーヒーを上手く飲むために吸ってる」と言っていて、コイツ何言ってんだろうなーと思った。あれは確か三月くらいだった気がする。

あまりにも「コーヒーと煙草の組み合わせは殆どうんこ」という情報を目にするのでそれを実践することはごく稀にしか無かった。喫煙可能な喫茶店でコーヒーと煙草をする時も心の底から「うますぎる」ってなったこともない。最かく言う自分もニコチン中毒ってわけでも無いし、禁煙を強要してくる恋人もいないわけなので、辞める理由も吸い続ける理由もないのだが、新年が始まってからは買っていない。単純に金が無さ過ぎるのも関係しているが

 

同年代の喫煙者が次々に辞めている。殆どが恋人の影響なのがなんというかグギギって感じ。「猿楽町で会いましょう」で長友郁真が「女の影響で禁煙する奴は信用するな」って言ってて、観てた時はそれな~って思ってたけど冷静に考えたら他人のために自分を曲げることが出来る人こそ信用にたる人物なんじゃないか。

みんなそこまで必要なものじゃなくて、昔聴いてたバンドとか、記号的なものだったのかなと。

 

 

煙草を辞めてもおでこにニキビは出来るし、朝の目覚めも別に良くならない。寒い日は朝布団から出る理由として喫煙をしていたなぁと思い出した。

自虐とヘラヘラした態度でしか笑いを生めない

あと下ネタ

 

自分が笑いを生んでるのかという問答はは置いておいて、公共の場でのユーモアって本当に難しい。会社での飲み会とか、自分のキャラが認知されていない場でのユーモアが全然出てこない。誰か好き勝手にボケてくれる人がいるとその人にずっと突っ込んでるから楽だけど、自虐や下ネタ以外でのユーモアが難しい。

 

基本的に自分の会社での立ち位置はようやく三年目に入ったくらいの新人よりの立場だから、リーダーみたいな人と一緒に仕事をすることになる。その人と一緒に居る時には「ここ分かんないっすね~(ヘラヘラ)」みたいな感じで話せば「なんだと~?」って言って和む感じがある。これ自分で勘違いしてるだけだったらめっちゃ怖いな。

 

最近、自分と二年目の人の二人で仕事する機会が出来た。内部リーダーみたいな立ち位置で仕事の舵を自分が握ってるんだけど、仕事の話をしてる時の自分ってマジで面白くない。ずっと真面目な話をしてるとボケたくなってきて「まぁこれで出来なかったら二人ともめっちゃ怒られるだろうね」ってヘラヘラしながら言うと「えっ………?(なんでそんな縁起でもないこと言うんですか?)」みたいに空気が死んでしまう。

 

あとは自分にも余裕が無い。この前までぼーっと仕事してたのに最近になってどかっとやることが増えてヒエ~ってなってる。そんでちゃんとしなきゃ、や、やらなきゃいけないこと、が先行してしまい、ユーモアが死ぬ。なんも面白いことも言えない気も遣えない中途入社三年目のボンボクラ。

 

普段人とどうやってコミュニケーション取ってたかな~って思い返したら、大概が自虐やヘラヘラした社に構えた外し、下ネタだった。気遣いや教養とかのプラス要素ではなく、マイナス要素でのコミュニケーションが余りにも多すぎてそりゃ会社でコミュニケーション取るの難し~って思うわな、という感じ。正のコミュ障とでも言うのだろうか。正のコミュニケーション取れる人、ないしは得意な人ってマjっじで大人だな~って見てて思う。頑張って話してる感じが無いのもすごい。なんか身に着けようと思ってそうなるんじゃなくて、身に着かざるを得ない状況で磨かれるものなんだと思う。正のコミュニケーションを発揮する必要がある場所からひたすら逃げ続けている人生なのでレベルが低いのは当たり前なんだがよォ

 

中学の時入ってた部活で部長になって、そこから部活をまとめないとって厳しい態度を取るようにしてたら同じ部活入ってた親友に「前の方が良かったよ」って言われた回あったな。でも俺が力抜いて以前みたいにヘラヘラしてたら部活終わっちゃうだろうがとも思ったな。結局自分がどうやって部長をやってたのか思い出せない。十年以上前だし忘れてても当たり前なんだけどな。正のコミュニケーション、大学から全く取らなくなったな。そういう場所にいると社会不適合者みたいな立ち振る舞いしちゃうんだけどホントなんでなんだろうな。普通にめちゃくちゃコミュ障なだけがしてきた。しんどい。

トマトさんと太宰府天満宮とトゥルーマンショー

6月から10月まで行ったり来たりする出張の中で、この土日は滞在することが出来た唯一の週末になる気がしている。

 

【金曜の夜】

金曜日の夜、仕事終わりにTinderで知り合った女性と飲みに行った。彼女のプロフィールの名前にはトマトと書いてあった。彼女は天神まで自転車で来るらしく「青色のシャツで自転車漕いでます」と目印となる容姿を教えてくれた。彼女と合流する直前に、自分は先に彼女を見つけることが出来た。自分より身長が低くて安心した。

 

天神と中洲川端の間にある喫煙可能な居酒屋に入って、彼女の話を聞いた。僕よりも幾つか年上の彼女は、自分よりも遥かに人生経験が豊富で、彼女の人生の盛衰を享受しながらずっと喰らってしまっていた。「喰らう」という感情はどう説明して良いか分からないけど、言語化すると「自分と対象を比較して自分の現状を反省する」に近いような気がする。

 

初めて会う彼女に地元の仲の良い友人のように接してしまったことを今更ながら申し訳なく思う。友人に誘われて、小説を書いた話もした。書いたものの、自分主体で発生した熱量ではなく、かつ、それがどうにもなりそうにもないことも吐き出した。彼女も、自分と同じような経験をしたことがあるらしかった。「それが無いと生きていけないで何かに取り組んでいる人と自分を比べて、その熱量の差に自分は凡人であることを思い知るよね」という言葉は、まるで自分の口から出たもののようだった。

 

「けど」と、彼女は言葉を続けた。「けど、その人たちが自分に関わってくれていたり、『あなたは特別だから』って言ってくれてることにさ、『私には彼らを惹きつける何かがある』と思った方が良いよね」そう言って彼女は「こうでも思ってないとやってられないよ」と笑った。自分もいつかその自負を持てる日が来るだろうか。

 

非凡になりたい凡人同士で酒を飲み合い、中洲川端駅前で解散した。金曜日の夜に浮付く街の中を大音量でバンドの曲を聴きながら帰った。気分が良かった。雨は降らなかった。

 

【土曜の雨】

11時ごろに起きて、シャワーを浴びて、そのまま出掛けた。何も予定が無いと一日中家に居てダラダラと過ごすことは明白だったので、土日のどちらかは外出する必要があると感じていた。せっかくの福岡での週末なのに東京での週末と同じことをしてしまうと、勿体無いとも思った。timesで車を借りて太宰府天満宮へ向かった。向かう途中で腹が減ったのでマクドナルドを食べた。雨は降っていた。

 

太宰府天満宮は、何年か前に家族で来たことがあるようで、薄ぼんやりと記憶は残っていた。雨に打たれる木々と、セミの音が静かに聞こえて心地が良かった。太宰府天満宮を出る直前から雨が強くなってきて、人生で一番と言っていい程の大雨の中、車を運転した。何事も無く運転出来て良かった。

 

現場から遠く見えていた、志賀島に何となく行くべきだと思った。山奥の道を通って、潮見公園展望台に行った。雨は止み始めていたが、こんな天気に展望台に行く人など一人もいなくて、誰も居ない観光地を有難く思った。森から霧が湧き出ていて、いろんな種類の鳥の声がした。

 

車を返して、スーパーで唐揚げを買って食べた。特に意味も無く夜更かしをして、これじゃいつもの週末と同じだと思った。

 

【日曜の家】

なんのやる気も起きなくて、14時ごろまで横になっていた。目玉2つにパスタを混ぜ合わせた超貧乏人のパスタを食べて、また寝た。気が付くと16時になっていた。土曜日に買ったポップコーンとジンジャーエールが残っていたので、トゥルーマンショーを見た。胸糞さや思ったような展開にならない息苦しさを感じていたが、終わり方がお洒落だったので何でも良かった。スーパーで刺身を買って海鮮丼として食べた。

 

今は雷が鳴っている。また雨だ。

福岡と近況とSNSと

自分と他人を比べてしまうのがどうにも耐えられなくなってTwitterInstagramをアンインストールした。夏が始まったらもう一度入れると思う。

 

【福岡】

出張で福岡に行っている。今は東京の家で過ごしているが、明日の昼の飛行機で福岡に行かなければいけない。6月頭から仕事の都合で福岡と東京を往復する毎日が始まり、日曜の午後に前乗りして金曜の昼に東京へ移動する生活を過ごしている。ホテル暮らしはどうにも身体が落ち着かなく、その影響で自律神経がおかしくなっているようだ。福岡では自炊することは無いの夕飯は外で食べることが多いのだが、飯が美味くて油を大量に摂取するためぶくぶくと太っている最中にいる。さっき行った銭湯で体重を測ったら54キロしかなかったが。筋肉が落ちて脂肪だけ増え続ける一番よくない成長をしているような気がする。

 

福岡に住んでいる友人に会おうとしたら熊本に転勤になったらしく、結局会えずにいる。数年前に知り合った友達が福岡に二人ほどいるので、久しぶりに会えたら嬉しい。

 

【近況】

書いていた小説が完成した。以下noteに詳細が載っているので関心がある人は読んで欲しい。このブログを読んでいる人がどれだけいるのかは不明だが。

 

note.com

 

文フリには同じように文学を書いている人がたくさんいて、(本当はそうでなかったとしても)彼らの純粋な熱量と自分の邪な動機を比較して気持ちがわるくなった。なんて不純な覚悟でここにいるのだろう、と。好きで文章を書いている他の参加者の方々や相方と、承認欲求のみで文章を書いた自分に現実を知った。

 

近況としては髪は伸び続けていて、仕事は忙しくなって、ただひたすらに金が無い。8月にライジングサンに行く予定だが、同行者が定まっていないのが苦しい。最近はズーカラデルとdowntをよく聴いている。相変わらず身の回りでは人生のマスを進めている友人が多い。自分はと言うと少し良いな、と思っていた女性二人から恋人が出来た報告がされて、そのどちらの報告にもダメージを負っていて二人の存在に助けられていたことを知った。彼女たちが傍にいてくれる努力をする必要があったと頭では思うが、自分の人生に精一杯な事実がそれを邪魔する。まだ26歳だから大丈夫、と思えている。取り残されている焦燥感は未だに抱けないままなのが幸いかもしれない。

 

SNS

福岡で情緒がおかしくなっているからなのかもしれないが、SNSを観るのがしんどなり、気がふれてTwitterInstagramをアンインストールした。消してまだ2日だけど今のところ不便さは無くて、コットン西村の今日の服装が知れないことに困るくらいだ。もう大分夏が近いのでとりあえず半袖を着ていけば問題は無い。そのうち大丈夫になって再びインストールするような気がしている。

 

無自覚デコンストラクションの小説を終えた4月以来、また新たに小説を書いている。先述した良いな、と思っていた彼女たちの話で、どこに出すわけでも何に行きつくかも不明瞭なままだけど、今書きたいと思えている気持ちを大事に取っておきながら、敵なる自分を騙し騙し見ない振りを続けて完成させたい。その内の1人に8月に会う予定なので、それまでには完結させる。