状況はどうだい
ここ最近、仕事もプライベートもなんとなーくずっと楽しくて、仕事は興味ある事できているし、夏はライジングとかライブとか飲み会とか楽しいことが沢山あって、不自由無い生活をしているなーと思ってたんだけど、10月の引き落としに預金が全然足りてなくて、あぁ俺が楽しかったのって後先考えずにカード切りまくってたからなんだ、と、まずは自分の計画性の無さに落胆した。
そのちょっと前に大家から「今住んでいる建物を土地ごと売るからでてってくれ」って言われて、諸々の話し合いを重ねた後に、退去料を幾らかもらうことで引っ越すことになった。
なったんだけど、二週間前にメールで申し込んでいた一番引っ越したい物件が「同時審査です」って言われてたのに、色々あって審査してる管理会社に確認したら「同時審査じゃなくて申し込み順の審査だし、そもそもお前の審査は受け付けてない(意訳)」って言われて、もうマジビックリなんですわ。
仲介してくれた不動産に「どうなってるんですか?」って火曜にメールしたら非番らしくまだ返信なし。普通に本社にクレーム入れることは確定しているんだけど、こんな状況なんだから非番とか関係なくメールくらい返せやって言うのはカスハラになるのかなぁ。このままだと結局、一番行きたかった物件に入れなさそうで、他の物件の仲介手数料を無料にしてもらったとしても一番行きたい物件に勝るとこはなさそうで、退去料を貰うメリットとか一旦隅に置いといて、大家にはごめんけど、なんかもーどうでもよくなっちゃって、まだこの家住んじゃダメですか??ダメ?ダメならあと2倍お金ちょうだい??みたいに凄く気分が落ちているのが今日。お金が沢山あれば全部解決できるような問題なのが、よけいに萎える。
仕事も俺の理解力が足りないのか、避けるリソースの問題なのか、仕事スピードが遅いのか、ともかく10月になっていきなり足が重くなってまぁ大変。何が正解かもわからないし、理想通りにすすまない仕事に何の意味があるんじゃこれ…と思いながら過ごしている。
社会人なり立てくらいの時に何回かあっていた人が結婚を報告していて、別にその人と何があった訳でもないし、俺が何をしようとしたわけでも無いんだけど、勝手に同士みたいに思ってた。憧れでもあった。尊敬もしていた。
その人が同時抱えていた悩みとか闇が、ぜんぶ解決したのかなーとか、人生を共にできる人を見つけられたんだなーとか考えると、自分の悩みもいつの間にかなくなってたなーとか、でも自分は未だに独りだなーとか、楽しいけどこれは解決ではないよなぁみたいに考えた。最近の身の回りの出来事で混乱してきたので、普通に海とか見に行きたい。
自分の状態を気にしなくなった
去年の秋くらいまでかな。案件が忙しくて、仕事に対して悶々とした気持ちを抱えてた時期は、自分の中の考えや精神状態をずっと見つめていた。どういう要因でこの気持ちなのか。いま抱いたこの感情の原因はなんなのか。そういう具合に、常に自分の状態に向き合いながら生活をしていた。
4月に入って、転職をし、新しい職場になった。そこから、自分がどういう状態なのか?というのを、あまり考えなくなった。たぶん、暇じゃなくなったからだ。
環境が変わって自分自身に向き合うよりも、新しい業務や業界の知識を勉強する必要ができた。朝7時には起きて毎日出社しなきゃいけなくなって、止まっている時間がなくなった。ジムに通い始めたから、仕事終わりにジムに行き、家で飯を作り、食器を洗えば、間もなく寝る時間だ。
生活は新鮮で、インプットが絶えず流れ、自分自身と見つめ合う時間がない。
驚いているのは、それでいいと思っている自分がいることだ。
思春期からずっと、特に社会人になりたての時期は自分の状態を常に把握しておく必要があると考えていた。小説や映画などの創作物に触れては自分の精神状態と比較して、動いた分の心の機微を文章にしていた。
だが最近はどうだ。自分自身を見つめて内情を言語化することに拘っていた自分は影を潜め、毎日を充実させるべく過ごしている。
話は少し変わって、職場の雰囲気がすごい。オフィスは綺麗で華々しく、社員の年齢は若々しく、服装は自由なのでフォーマルよりも華やかなカジュアルさを感じる。社内ではメインストリームの音楽や80年代のHIPHOPが流れ、テレビドラマに出てくるキラキラしたベンチャーが顕現したような、非現実味がある。
そんな会社で過ごすことになり、最初は自分の精神状態がどうなるか不安だったが、人間というのは慣れる生物で、今日まで何の問題もなく過ごせている。最近では社内BGMを自分が好きなバンドにする奔放さまで許されている。
多分、20代前半の頃だったら慄いて斜に構えて全く馴染めなかったと思うが、今の自分はうまく溶け込めている。おそらくそれは、何社か経験したおかげで必要以上に強迫観念に駆られずに済んでいるからだと思う。あぁ、そういう感じね。はいはい。まぁ前の職場でずっと寝てるお爺ちゃんがいたり、デスクとPCしかない会社もあるから、こういう会社もそりゃあるか。みたいに、認識の仕方が上手くなったような。
と、ここまで考えて、職場の雰囲気に驚かなくなったのも、自分のことを考えなくなったのも、近いのかもしれない。きっと、同じようなことを何度も経験したからだと思う。
思春期だから悩むってよく言うけど、あの時の自分は悩むしかなかった。知らないことだらけで、不安で、社会を生きていくだけの実力や将来性もなくて、現実をどう受け止めたらいいかも分からなくて、過剰に自分に問いかけてた。
でも、経験が増えると「ああ、これはこのタイプの問題か」って分類できるようになる。つまり、悩みは人生から減るんじゃなくて、名前がついて、分類が上手くなるだけ。
自問自答する時間が減ったことは少し寂しいけどこれが大人になるってことなのかもしれない。自分の精神より、明日の生活。たぶんこの生活を続けてるうちは、このままなんだろう。
みたいなことを考えた火曜の夜。でもこんなごちゃごちゃ言語化してるうちはまだまだ未熟ですね自分は
裁判の傍聴してきた
平日にしかできない事ってないかな~と色々考えてたんだけど映画とか混んでる飲食店とかが候補に挙がった中でふと裁判の傍聴をしてみたいなと思い浮かんだ。だので今日は東京地方裁判所に行ってきた記録を残す。
正面入り口→空港の手荷物検査みたいやつ→ロビー→傍聴席という流れで辿り着けた。まず手荷物検査は結構緩くて、リュックの中にPCや充電器とかも入っていたし、ゲートを潜り抜けた身の中にはライターとかベルトとか時計とかもあったけど咎められることもなく直ぐに入れた。
ロビーの中央付近に図書館の在庫を調べるみたいな機械があって、そこで開廷表を確認できた。初見だと分かりにくかったんだけど、左側が裁判の種類(高等裁判、民事、刑事、家庭とか)右側が検索条件という感じで、今日この場所で開催される裁判を選べる仕様になっていた。大体1時間から10分くらいのタイムスケジュールで細かく開廷していた。9階くらいまであったのかな。各階に教室くらいの大きさの法廷が30個近くあるっぽい。大学みたいだった。

裁判所の電子開廷表、職員自作の検索システムに不満の声「タップが大変」「紙も残せ」 - 弁護士ドットコム
裁判の流れは初回→審理→判決に分かれていて、今日は全部一つずつ見てきた。初回は事件の流れとか弁護人と検察官の主張が交互に聞けたし、逆に審理や判決は途中からで情報を補填しながら追っていた。初めて行く人は初回がおすすめってネットで観たけど確かに初回が一番分かりやすいかも。
傍聴した裁判の種類については詐欺罪とか大麻所持とか道路交通法違反とかだった。特に詐欺罪は数万円のクレカ不正利用が主な罪っぽくて、その程度で逮捕起訴されたりするんだなーと思ったりした。あと初回と判決の回に名物っぽいおっさんとお爺ちゃんが居たりしてこの人何の仕事してはるんだろうなーと気になった。
詳しくは書かないけどドキュメンタリーや映画を観るくらいの衝撃で、無料で観れる演劇として傍聴する人もいるだろうなーと思った。今日は夕方過ぎから行ったからあんまり傍聴できなかったけど、せっかく東京に住んでるんだし別の犯罪とか高裁とか最高裁の傍聴もしてみたい。
お盆休み
8月9日からずっと休んでいる。お盆休みってやつだ。
月曜日から働く必要があり、現時点ではそれに対する憂いや嫌気は起きていないが、前日になって逃げ出したい気持ちが腹の底から溢れるに違いない。お盆休みは残り二日残っているが、休み前に立てた目標を全て達成したい。転職活動とnoteを書くことが地味に障壁になっている。
5月中に書き超える予定だった小説を7月最終日にようやく書き終わった。翌日から再び別の小説を書き始めていて、ネットワークビジネスに勧誘される男の話を書いている。
高校三年生の受験期に成人男性二人に声かけられて、そこから聖書の勉強をするという会合に何回か参加したことがある。あの人たちの目的は何にあったのだろうか。入会金とか壺とかそういうのもなく、ただただ聖書から宗教を学ぼうという時間だった。なんの集団だったのだろうか。
あの時、自分に声を掛けてきた二人よりも年上になった。高校生に声を掛けてきて宗教活動に勧誘する成人男性、普通に危ないので、当時の自分が変なことに巻き込まれなくて良かった。
余談だが聖書を読む団体に行っていることを同期や後輩に話したら「首が360度回るようになるんじゃないですか?」と後輩に言われて、8年近く前の発言なのに面白過ぎてずっと憶えている。
お盆休みに京都の田舎に住んでいるお婆ちゃんに会いに行った。終戦の四年前に生まれた婆ちゃんは思想に偏りがあって、晩飯を食べながら「アメリカの言いなりになっちゃいかん」「戦争を起こさないことだけを考えながら生きねばいかんよ」と口酸っぱく言われた。言っていることは正しいのだが、アラサーの自分には戦争が起きることよりも来月をどう生きるかの方が重要で「お婆ちゃんも俺くらいの年齢の時は戦争のこととか考えて生きてなかったでしょ?」と意地悪に訊いたら「確かに私はその時期は結婚したてで家庭とか子育てとか大変だったから考えてなかったけど…貴方は未だ結婚してないでしょ?」とカウンターがクリティカル過ぎてめちゃくちゃ笑ってしまった。改めて自分を見つめ直したら27歳の独身男性になるのだ。自覚が足りない。
婆ちゃん、長生きしろよ。
ちょっと良いかも?と思っていた女性から「○○さんのことをあまり知らない」という理由で距離を置かれて、その後何の発展も無いままフラグが枯れていった。人に対して人間性を知りたいと思うのは最低ラインの話だと思うし、好感度がカンストしていれば一旦付き合ってみるとかになりそうなので、つまるところ単純に彼女のタイプでは無かったのだな、と思っている。
あと、物理的に距離を置くムーブをされてしまうと自分も強引に行く気持ちが起きず(ゴリ押しをして薦めるほど大層な人間ではないという自意識が勝るため)そのまま関係が終息する。
自分のことは好きだが、将来性や計画性が皆無であることから、人に薦めるほどの人間ではないと思ってしまう。断片的に一緒の時間を過ごすには面白い人間だと思うが、一週間一年十年と関係を続けることを鑑みると余りに無謀なステータスをしている。このまま一生恋人が出来ないかもしれない。
連休は人に誘われることが無いため殆ど家で過ごしている。周りが恋人や家庭を持ち始めて、友達の優先順位が下がった結果、自分と似た生活を送っている友達が減っているのかと考えた。これがアラサー、これが独身か。
それにしても、先月頭は人付き合いを減らしていきたいと懇願していたのに、いざそれが無くなると寂しくなるなんて。なんと勝手な生き物なのだろうか。
性欲
新宿の人混みを流れる時は、心を殺して歩くようにしている。その時の私は、毎朝の通勤時と同じ死んだ顔をしているだろう。見ず知らずの他人と皮脂までもが擦れ合う距離にいながら、横に過ぎていく景色を何も考えずに見ている時と同じ、重力に負けた表情だ。今だって、行き交う人が放ち続ける情報量にメモリが逼迫する感覚を抱きながら、彼らと決して目を合わせないように気を付けている。
自分と同じ風貌をしているだけの、別の生き物。意志も何もなく、ただ偶々居合わせただけの人形だと思ってしまえば、一人ひとりに心を動かされることはない。
性愛の対象を選り好みすることはかつての日常だった。学校やSNSで、自分の好みである人を探しては見つけ、それを友人たちと伝え合っていた。
今では異性を目にする度に浮かれる憂いが浮かび、本能に従順な自分に死にたくなる。身体の輪郭がはっきりした若い女性を見ると、全身を舐めるように見る欲望がオートマチックに発動し、同時に死にたくなる。反対に、年を召した淑女を見る度にその色気の無さに安心し、同時に死にたくなる。
性欲が満たされる快感を他の経験で補いたいと思って数年が経ったが、アルコールや運命力に抗えず衝動的になる日が増えつつある。仕事によるストレスの蓄積と、自分が一人な時に暇と感じる瞬間が多すぎる。最近、やたらと人に会うようになっているのは、一人で残された時に直面する禄でもない現実を恐れているからなのか。今がマシになれば一人であろうが何にも振り回されずに生活できるのだろうか。
惰性な欲望を捨てかけたメモで忙殺したい。抱える性欲に揺さぶられながら、こいつが不要になる日を待っている。
おそらくキャパオーバー
自分の生活におけるキャパシティが100あるとして、今は115くらいの割合なんじゃなかろうか。その証拠に二週間前まで作れていた弁当が疎ましくなったり、夜ご飯の自炊の頻度が明らかに減っている。単純に6月末の暑さと梅雨入りした湿気の高さにうだってしまっている可能性もある。
要因①人と会い過ぎている
5月6月と、人に会い過ぎている気がする。今朝の通勤中、仕事以外で会った友達を試しに数えてみたら5月は20人、6月は18人に会っていた。本当に人に会い過ぎている。
後先を考えずに誘われた途端二つ返事で了承をこなしていると、週末の一人の時間が不足していたことへの後悔や、1ヶ月のクレカの請求に今の自分が苦しめられる。
過去を振り返ってみると数多の選択肢があったように思うが、それは現在から思い出を振り返った時、その時思い浮かべなかった道筋が冷静に映るだけで、結局はじめから運命として決まっているのだから仕方ない。
昔の自分の選定を悔いるのは意味が無くて、今の自分が決断する時に、もっと慎重になっただけの方が良いだけの話だ。具体的に、人と会う上限数や交際費の予算を決めて、それを超過した場合は「予定が分かったら連絡する」とお得意の嘘で乗り切ればいいだけじゃないか。
何にビビっているんだ。友達を失うことか?
大丈夫。お前の周りの友達は一回や二回、下手すれば一年二年会わなくてもどうってことない表情で笑顔を向けてくれるよ。
自分のキャパシティが超過しているからだろうけど、知り合いがいない土地で、一人きりで過ごせる土地で住んでみたいなとよく思うようになっている。
錦糸町駅の総武線快速の乗り場までの階段をのぼって、ホームに立ち、ぎゅうぎゅうに人が詰められた電車を見る度に、ただ生きていたいだけなのに、こんな思いをする必要は無いだろ、と非現実的なたわ言が頭を掠める。
要因②恋人が出来るとも思えないが
運気が上向きなのか、この人と恋人になる未来も選択できるな、という人が周囲に何人か居る。自分が数人に一定以上の評価を受けていることは素直に嬉しいが、その感情をひとたび超えると、けど最終的にはどうなるんだ?とネガティブが押し寄せる。
今の自分の感情としては恋人という存在がいれば幾分か救われる現実があるような気がしていて、自分に関係のない話をしている会議中とか、その人から連絡が来たタイミングとかで、彼女との今後の可能性を考えたえりもする。
ただ物事の行く末を考えた途端、直ぐに最悪の想定が思い浮かぶのはずっと治らない悪癖で、思っていた人と違うと言われて振られるだの、生活スケジュールが合わなくて振られるだの、そもそもそんなつもりじゃなかったんだけど、と言われるだの、そういうことばかりが思い浮かぶ。現実では何も起きていないのに。
大学生の時、恋人と別れ話をしている時に「将来は暗いことばかりじゃないと思う」と言われたことをずっと憶えている。
要因③サッカー
EURO、なんであんな時間にやるんだ。
小説を書き終えたいし、泥酔もしたいし、海にも行きたい。
頼むから7月は全部叶ってくれ。
Twitterと煙草をやめて一ヶ月経った
正確には完全に辞めたわけでは無いのだが、Twitterはアンインストールをしたし、煙草も年末の旅行で引くほど吸ってからは一箱しか吸っていない。どちらともが頻度がかなり少なくなった。
理由として、それを止めることが自分のためになると思っていたのだが、結果的には自分が想像していたような感覚にはなっていない(もっと清々しい気持ちになれると思っていた)し、目先の動揺やストレス、自意識が多少マシになっただけで違う側面で自分が追い込まれている現実だ。結局のところTwitterをやってようがなかろうが、煙草を吸ってようが吸ってまいが、朝は起きれないし、仕事は出来ないし、自分以外の人生を羨んでしまう。
俺とTwitter
中学生の時からTwitterをやっていて、高校大学はTwitterをやり過ぎていて、社会人になってからもやっていた。なんなら社会人になってから二年くらいは考えるOLとか鈴木とか内情を綴ってバズってるアカウントがめちゃくちゃ羨ましくて、それっぽいツイートを頻繁にしていた。並行してnoteも書いていたが、就活のことについて書いたnoteがそれなりに読まれ、そのツイートもほんのちょっとバズり(100いいねくらい)人生が変わるカモ………!?と期待したものの何の成果も得られず四年が経とうとしている。
Twitter経由で売れていったライターをここ数年で何人も目にする度にマジで羨ましいな~と僻み妬み恨みが溜まっていっているが、彼らほど本腰を入れてSNSに注力していた訳では無いし、かと言ってSNSでバズるのを完全に諦めていた訳でも無い一番中途半端な状態を二年くらい続けていたらTwitterが激キモSNSになってしまった。
Twitterの挙動がおかしくなっているのはある程度のユーザーなら周知の事実だろう。なんかTLにフォロー欄だけじゃなくておすすめ欄がデフォルトで出てくるようになってからきな臭さは感じていたんだけど、名前がXに代わってからは本当に終わってしまった。Twitterキショ過ぎて直ぐにアンインストールして、代替SNSとして台頭しつつあったスレッズを始めてみたものの、全く興味もないユーザーの、n十回みた経営術や女が胸を強調した写真、当行の最初に「これはやばい」から始まって、一番最後に「でも一番ヤバいのは…」って中途半端なメソッドを提示するSNS有識者の投稿を観るのが嫌過ぎてやめてしまった。今スレッズやってるのってカツセマサヒコとラランドの作家のライプだけだと思ってる
でも数字を取るために頑張ってるのは凄いと思う。お金は欲しいのに何もしないだけの自分が責められるような気持ちになることもある。コムドットを見た時に純粋に馬鹿にする気持ちがわかないのはそれまでの彼らの努力やマーケティングは確かなものだから。著書を腐したりするのも気分を害する。
書かなくても良いnoteを続けて、これが将来の自分のためになればいいなと思っているから書かなくても良いnoteを書いているけれど、本来であればSNSをちゃんと運用して自分の名前をセールスすることが必要なんだよな。それを出来ている人から目を背けたくて、そこから降りたくてSNS断ちしているのかもしれない。本当に?
最近はSTRESSCLUBインプ稼ぎも広告もアラビア語も何も居ない良いインターネットを眺めています。
俺と煙草
高校生の頃に「死んでも煙草は吸いたくない」と言っていたのに20歳になった瞬間、友達が適当に選んだ番号の煙草を買って津田沼駅前の2階の喫煙所で吸ったのが俺の初喫煙。そこからバイト先の先輩と仲良くなってあれよあれよと喫煙者になっていた。でも俺の中で煙草が美味しいって感じる頻度って多くなかった。酔った時と寝起きと濃いもの食べた後は美味しいけど寝る前とか仕事中とかに吸う煙草って全然美味しくないんだよな。体質もあるんだとおもうけどそこまで酒も強くないし。酒強い人って強い煙草吸ってるイメージあるわ。
未成年だった時期に日雇いのバイトを何回かしたことがある。倉庫で商品を仕分けるだけの簡単なバイトだったのだが、その日同じ作業場所に居た兄ちゃんと仲良くなった。帰る方面が同じだったので、車で来ている兄ちゃんに最寄り駅まで送ってもらった。そん時の自分はまだ「死んでも煙草~」時期だったから、車中で何本も煙草を吸う兄ちゃんに「なんで煙草吸ってるんですか?」と聞いてみた。兄ちゃんは「コーヒーを上手く飲むために吸ってる」と言っていて、コイツ何言ってんだろうなーと思った。あれは確か三月くらいだった気がする。
あまりにも「コーヒーと煙草の組み合わせは殆どうんこ」という情報を目にするのでそれを実践することはごく稀にしか無かった。喫煙可能な喫茶店でコーヒーと煙草をする時も心の底から「うますぎる」ってなったこともない。最かく言う自分もニコチン中毒ってわけでも無いし、禁煙を強要してくる恋人もいないわけなので、辞める理由も吸い続ける理由もないのだが、新年が始まってからは買っていない。単純に金が無さ過ぎるのも関係しているが
同年代の喫煙者が次々に辞めている。殆どが恋人の影響なのがなんというかグギギって感じ。「猿楽町で会いましょう」で長友郁真が「女の影響で禁煙する奴は信用するな」って言ってて、観てた時はそれな~って思ってたけど冷静に考えたら他人のために自分を曲げることが出来る人こそ信用にたる人物なんじゃないか。
みんなそこまで必要なものじゃなくて、昔聴いてたバンドとか、記号的なものだったのかなと。
煙草を辞めてもおでこにニキビは出来るし、朝の目覚めも別に良くならない。寒い日は朝布団から出る理由として喫煙をしていたなぁと思い出した。