あまりにも、過ぎて行ってしまう日々の中で

朝になったら恥ずかしいと思うような書き出し。自分のブログを冷静になって見直して、羞恥心に苛まれながら、それでも誰かに自分の恥部を見て欲しいと思っている。これ言わなくても良いな、と酩酊した頭でも薄っすら理解している事柄を他人に言いふらして、想定していた言葉が返ってきた時は自己満足感と自己嫌悪の気持ちがちょうど半分に折半される。それでも後に残るのはかならず自己嫌悪の方で、1人になってからあぁまた要らんこと言ってもうたなぁ。と静かに後悔する。

 

去年の暮れに小説を何とか書き終えて、それを2人の友人に見せて、2人ともから同じ指摘を受けたのにそれを未だに解消できていない。先送りにして先送りにしていつのまにかもう三月になってしまっている。今日だって、誕生日の時に思いつくままに書いた話を完成させるために夜の2時に起きているのに、自分の書き出す話のつまらなさに苦しくなってこうして現実逃避している。明日友達に会う前に書き終えたいと思っていたのに、まだ半分も終わっていない。オチは分かっているけれど、意外性というものはまるでない。起承転結を書いた方がいいし、結局自分は何が書きたいんだっけ?

 

編プロに入りたい気もするし、今の仕事の傍ら小説やら文章を書いて生きていたいと思っている。腹を据えて仕事をしていないせいで、このままずっと似たような自分勝手な生活をし続けてしまい、人生の駒をひとつも進められないまま年を取っていくのが怖い。ずっと何かを探していて、ずっと何かを待っている気がしているのに、ずっと何もしていない。効果的な行動をとれずに、あまりにも過ぎて行ってしまう日々の中で、今日みたいに無駄に時間を浪費するだけの生活が続いている。

 

面白い人間と思われたい上で、自分には価値があると信じていたい。今の自分のことを好きすぎて自己愛が上振りしてしまっているせいで傷付くのが怖くて何もできていない。こんなことをいつまで言っているのだろうか。もっとポジティブにアクティブに、手を動かして生きていけばいいのにな。

 

5月21日の文フリに出ます。もうお金の振り込みもしました。3月中に書いている小説を終わらせて、4月は装丁や打ち込み作業をします。間に合うのでしょうか。間に合うと良いな。

 

今日は朝まで起きています。書いている「裸」を何とか終わらせます。

友達が結婚したり別れたりしている

仲の良い友達や先輩が、結婚したり別れたりしている。自分の周りで出会いと別れが繰り返されているのを見るともっと気軽に付き合ったりしても良いかもしれないと勘違いしそうになるけど、たまたま接する人の人数が多くて、その中でそういう話題になる人が多いだけで、自分がそういうことを決断する理由のひとつにすら成り得ないことは分かっている。昔、元彼女や女友達に周りの人に言われたから、と決断する類の人がいた記憶があって、少しだけ当時の気持ちを思い出す。

 

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自意識が強くて嫌になる

もうすぐ25歳になるのに未だに自分のことしか考えていない。他人が何を考えているか本当の意味ではひとつも理解しようとする気が無いくせに、自分のことを見ていないと認められている気がしなくて途端に寂しくなる。寂しい。寂しいけれど、自分のことが大好きなので、他人や他の何かで満たされなくても生きていけてしまう。この先、何年もひとりで生きる必要があるとしても、過去を擦り続けながら生きていける予感がある。でもきっとそれは人として健全な状態では無いから、自分でも知らないうちにこじれて可笑しくなってしまうだろうな。

 

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