エモ啓発ツイートを作ろう【その①】
こんばんは、森林です。
昨日は『「エモい」と「自己啓発」を組み合わせたツイートを作るには?』というテーマでブログを更新した。所謂『エモ啓発』。
結論として、「共通認識としてのストーリーをベースに、自己啓発の概念を織り交ぜる」という基準ができあがった。
今日は、これまでの僕のツイートをいくつか挙げ、「どういう要素が組み込まれているか?」「どうすれば『エモ啓発』ツイートになれるか?」というの分析と修正を行う。
今日は「エモい要素はあるけれど、自己啓発に欠けるツイート」について考えていく。
【パターン①:「エモい」ツイート】
エモい要素はあるが、啓発はされないツイートとはどういうものだろうか?さっそく見てみよう。
(1)エモ題材「小説」
小説って最後の一行のためだけにそれまでの何万文字があるのが最高すぎるな
— 森林🌲 (@moriba_to) 2020年4月23日
これは僕が常日頃思っていることだ。54字の文学賞というのをご存知だろうか?
これを見ればわかると思うが、短い文であればあるほど「オチ」が重要になってくる。起承転結を54文字で納めなければ、物語は面白くない。
僕が小説に抱く想いは、それと似ている。違うのはその分量だけ。
最も好きな「最後の一行」は伊坂幸太郎の「モダンタイムス(講談社文庫)」だ。
これは上下巻に及ぶ長編小説で、総ページ数は700を優に超える。小説における文字数は1ページあたり600文字といわれているので、単純計算でも42万文字になる。
話が少しそれたが、要は「小説は最後の一行のためだけにあるのが良いよね!」ってことだ。多分これは小説を読んだことある人にすれば共感できることだし、自身の体験と繋ぎ合わせてエモく感じてくれるだろう。
ここに啓発要素を加えるとしたら「本を読め!」になる。
という訳で元ツイートを「エモ啓発ツイート」に変換してみよう。こうだ。
最後の1文のためだけにそれまでの何万文字がある小説、良過ぎるな…。読書って時間はかかるけど値段は安いし教養にもなるし何より面白いので、是非みんなに始めてほしいな…。
最初にエモい結論を提示し、後半で良さをアピールしつつ読書を促している。これはまさに「エモ啓発ツイート」ではないだろうか?
(2)エモ題材「高校」「変わってない」
高校の先輩と同期と後輩とリモート飲み会した。みんな変わってないようで良かった。リモートなのに腹千切れるくらい笑った。腹筋ついた。
— 森林🌲 (@moriba_to) 2020年5月5日
もりばやし、盛り上げるだけ盛り上げて、オチで死ぬほど滑るのも、高校生の時と同じ。
僕もまた、変わってない。
このツイートにはエモ要素が2つある。「高校」と「変わってない」だ。
これらには深い関係がある。
まず、「高校」という場所は殆どの人が通る道であるので、共通認識が得られやすい。
さらに高校=青春である。高校時代に出会った友達は、青春時代を共にしていることが多い。友達と一緒にバカなことをした青春時代には二度と戻れないし、何でもできる気がしていたあの頃のような気持にはもうなれない。だからこそ尊い。
つまり、青春とエモはほぼ同義と言ってもいい。
そして高校の友達が「変わってない」のは、もっとエモい。
「変わってない」ことを認識するためには当時の記憶と現状を比較する必要がある。エモの本質は「過去のストーリー」にあるので、昔を思い出すという行為を行えば、ほぼ強制的にエモが想起されると断定できる。
つまり、このツイートはエモを考える上で重要な要素を2つも抱えていることになるのだ。
ここに加えられそうな啓発要素でいえば「変わらないまま頑張ろう」だろうか。こういう感じに。
高校の先輩と同期と後輩とリモート飲み会した。みんな変わってないようで良かった。リモートなのに腹千切れるくらい笑った。腹筋ついた。
もりばやし、盛り上げるだけ盛り上げて、オチで死ぬほど滑るのも、高校生の時と同じだよなぁ。僕も変わってない。
仕事頑張ってる中で疲れたら、また腹筋鍛えさせてほしい。
その時も、変わってないといいなぁ。
どうだろうか。
高校時代には無かった「仕事」というワードも、「あの頃とは違う環境になってお互い成長したけど、でも爆笑し合える仲でい続けような…!」というアツさと信頼が伺えるツイートになったと思う。
(3)エモ要素「学生」「仕事」「酒」「終電」
学生の頃の友達数人とスーツで新宿に集合し、お互いの仕事の愚痴や恋愛の話をしながら浴びるほど酒飲んで、馬鹿みたいに酔っ払って終電で最寄りまで行き、爆音でマカロニえんぴつを聴きながら帰る。
— 森林🌲 (@moriba_to) 2020年5月20日
みたいな5月を想像してたんですけど、どこ行っちゃったんですかね???
エモ要素は4つ。その中でも「学生・仕事」と「酒・終電」に分類することができる。
「学生・仕事」は相対する要素だ。学生じゃなくなった社会人の僕が、学生の時の友人と集まり、過去を懐かしむエモさを感じようとしている。ちなみにここでの主語は「学生」だ。「仕事」というワードは学生に戻れない自分を引き立ただせるものでしかない。
一方「酒・終電」はその反対で、似たような要素である。終電に乗る時は大体お酒を飲んでいる気がする。というか、素面で終電に乗ることなんてあるのか?
この2つのワードは、学生時代に初めて経験する場合が多い。勿論そうじゃない人もいるが、殆どの人がそうだと思う。なんであれ初体験というのは忘れられないものだ。
このことから「仕事」「酒」「終電」という3つの要素は、「学生」というワードを強調するために組み込まれていることがわかる。
しかしこれは妄想であり、期待だ。
実際に思い出として回帰されているわけではない。
だが、社会人になった新卒が学生時代への憧れを忘れられないという構図は、社会人の方は全員通ってきているのではないか。
そういった意味では、共通認識が生み出されやすいテーマだと思う。
このツイートに啓発要素を加えるとするならば、「会えるようになる時まで頑張ろうな」である。こんな感じ。
学生の頃の友達とスーツで新宿に集合し、お互いの仕事の愚痴や恋愛の話をしながら浴びるほど酒飲んで、馬鹿みたいに酔っ払って終電で最寄りまで行き、爆音でマカロニえんぴつを聴きながら帰る。
みたいな5月は来なかった。妄想で終わった。
だけど、そのうち絶対会えるし、その時は行けなかった飲み会の分まで酒を飲む。それだけの酒に見合う努力続けていこうな。頑張ろうな。
どうだろうか。多分僕らは「それに見合うだけの努力」というワードを裏切らないように、お互い頑張れるだろう。
あとは「行けなかった飲み会の分まで酒を飲む」ってうのも過去の後悔を未来への期待に変換出来ていて、結構いいと思う。
【まとめ】
「エモさ」というのは過去の話だ。一方、啓発は現在の話だ。
この2つを繋げるためには過去と現在の話、2つのバランスを取ることが重要であることが分かった。
明日は「自己啓発要素はあるけれど、エモさに欠けるツイート」について書いていこうと思う。(2,976文字)