「嫌い」だったけど「好き」になったモノ【人物編】
こんばんは、森林です。
前は「嫌い」だったけど、「好き」になった人物についてお話します。
(1)高校時代の陽キャ
僕の高校はひと学年の人数が700人を超える、所謂マンモス校だった。
高校生の僕は、なぜか自分に自信があった。自分という人間はカーストの上位にいて当然だと思ってた。
だからサッカー部やラグビー部、ダンス部などの陽キャがクラスの雰囲気を掌握していたり、陽キャを中心に回る授業とかで、馴染めない自分が信じられなかった。頑張ってボケて滑って、みじめになることもあった。
今思えばビビりすぎてただけなんだけど、「どう思われるか分からなくて怖い」とか思わすに、けろっと言えてれば良かったのに。
他人は自分をそんなに見ていないって事に気が付くまでに、ずいぶん時間がかかったな。
中学ではカースト上位でも、高校では違う。でもそんな自分を認めたくない。
僕は自分のプライドや自信を保つために、心の中で彼らを見下すようになった。
俗に言う、認知的不協和理論である。
これは認知した現実と、認知している自分の内面に矛盾が生じる様を表す心理学用語だ。
「すっぱいブドウ」というイソップ寓話がある。
キツネは高いとこにあるブドウを食べようとするが、高くて届かない。
仕方なく諦めることになるが、「どうせあのブドウは酸っぱいに決まってる!食べなくて正解だ!」と諦める口実を作り、自分を納得させる話。
つまり認知的不協和とは「納得できない現象に陥った時、自分を納得させるためにそれっぽい理由を作る」ってことだ。
忘れ物を探してる時に絶対知らない人に「○○どこにあるか知ってる?」って聞いちゃうのもこれだ。あの時僕らは「モノを探すのを手伝ってほしい」という気持ちよりも「モノ無くなった原因は自分じゃなくて他の誰かだ。だから見つからない」という言い訳を作り、無理にでも納得しようとする。
他にも、実力でギャンブルに負けたカイジが「インチキだ!」と喚くみたいな例もある。
話が逸れたが、つまり僕は「自分がスクールカーストの下位」である事実を認めたくないばかりに、「スクールカースト上位のあいつらは、本当はしょうもない人間だ」と心の中で下に見て、自分を優位に立たせていた。本当は人間関係において上とか下とかないはずなのに。
ただ、彼らと同じクラスになったり、良く話すようになるとめちゃくちゃ良い人ばかりだった。内輪ネタでしか盛り上がれない僕にも声を掛けてくれたり、みんなで楽しくなるように常にしてくれる良い陽キャだった。
意外なことに、彼らにも暗い部分はあった。「好きな女の子にラインできない」とか「将来やりたいことが分からない」とか、僕と同じようなことで悩んだりしてた。
これには驚いた。陽キャは僕とは違う人種だと勘違いしていた。
結局のところ、彼らのことを良く知らないだけだったのだ。
これが「嫌い」と思っていた陽キャのことを、「好き」になった話だ。
(2)キングコング西野
キングコング西野も同じように「怪しいことしてお金を稼いでいる人」みたいな感じであんまり好きじゃなかった。
今思えば不思議なのだが「なんかよく分かんないから怖い!」と、意図的にキンコン西野の情報をシャットダウンするようにしていた。
でもある時、価値観を変える出来事が起こる。
それは西野が「ダウンタウンなう 本音ではしご酒」に出演した時のことだ。
テレビの中で西野は「ひな壇に出ない理由」を話していた。
元々のひな壇ブームは、テレビ画面の拡大があるとのこと。
そして時代はスマホへ移り替わる。
「スマホになり画面が小さくなれば、僕らに求めれるのはバラエティの瞬発力じゃなくて、小さい画面でどんだけ惹きつけられるかっていう持久力なんですよね。」
西野は今後のエンタメの変化をいち早く察した上で「ひな壇に出ない」と発言したのだ。
この発言をしたのは2011年らしい。
事実、それからスマホが普及し、Youtuberが流行った。現在は石橋貴明という超大物有名人までもがYoutubeを始めている。
約10年前にこの事実を予想して、的中している。
そして現在も同じような未来に向けて行動し続けている。
説得力が半端じゃなかった。ダウンタウンも「ほぁ~~!」みたいな顔してたし。
この出来事以降、西野の認識を改めた。
彼のブログを読んだりYoutubeの動画を見漁ったりして、「知らない」という理由だけで取りこぼした情報を、なんとか回収しようとしている。
西野は「現代の革命家」なんて言われているが、それは「天才」「アイディアマン」みたいなイメージが先行し過ぎだな、と思う。
1日2時間しか寝ないらしい。あとは全部働いている。恐ろしい程の努力家だ。
ただ、ゴッドタンで芸人をしている西野は死ぬ程好きなので、是非続けてほしい。
【まとめ】
昨日と今日で「音楽」と「人」について、自分なりに思っていることを書いた。
音楽は、「あんま良くない印象だな」と思っても、とりあえず聴いてみる姿勢に変わった。ジャンルの幅が広がったように思う。
人についても、ツイッターのフォロワー数が異様に多い人のことを「怪しい!」と判断するのを止め、一度「何をしている人なのか?」というのを調べるようになった。これだけで結構な進歩だ。
自分の主観というか事実だけで判断するのではなく、ちゃんとその人のことを知った上で好きか嫌いかを判断しようなという話でした。(2,230文字)