10月2日

今日は活動的だった。14319歩も歩いていた。

 

 

 

【今日のこと】

 

今朝の4時くらいに怖い夢を見て目が覚めた。そこから昔の写真や自分が書いた文章を眠くなるまで眺めて、5時ごろにもう一度寝た。

 

8時半に目覚ましをかけていたので起きた。朝ご飯を食べ、風呂に入り、今日も髪を括り上げたちょんまげスタイルで出かけることを決める。青山じゃなくて野原だった。

 

キャリーケースを修理しに行こうとしたのだが、キャリーケースの鍵が見当たらない。最後に使ったのは一月前くらいなので無くしたはずはないが、すぐには見つからなそうな予感がしたので、修理に出すのを先送りにすることにした。

 

一日乗車券を買い、浅草へ。浅草近辺を散歩しながらフィルムカメラで何枚か写真を撮った。

 

昼飯は浅草と上野の間にあるカフェでカレーを食べた。カレーだけを頼んだつもりがAセットを頼んでいたことになっていた。サラダもスープも美味しかったので良かった。オマケでアイスティーとパウンドケーキを頂いた。

 

お会計の時、食べている時に本をずっと読んでいたことや首からフィルムカメラをぶら下げていることを褒められる。ポジション取りとしてのフィルムカメラか、純粋な想いでのカメラか分からなくなる。

 

上野から日比谷線に乗り中目黒へ。祐天寺の古着屋に行ったけど、値段と格式が高かった。途中歩きながら何枚か撮ったので、その現像も楽しみ。

 

地元の駅に戻り、行きつけの古着屋で指輪を買った。その後は駅の近くの喫茶店に行き、読みかけの劇場を全部読んだ。

 

【劇場を読んで】

小説版の劇場を読んだ。翻訳ビジネス本を読んだ後ということも関係しているのか物凄く読みやすかった。小説のあらゆるシーンが映画の場面として目に浮かぶのを感じながら、映画と小説の順番が逆だったら感じ方は違ったのだろうかと少し思った。

 

小説版も面白かった。映画の中で僕が好きだったシーンは小説でも重要な場面として書かれていたし、映画では登場しなかった場面も何個かあり、その都度省略された意味やその場面が持つ文脈的な意味について考えた。

 

所謂純文学のようなページを覆うほどの長セリフを僕は好きじゃないが、劇場の最後の数ページは別だった。喫茶店で最後のページを読みながら少しだけ泣いてしまった。もし家で読んでいたとしたら普段は訪れにくい涙チャンスに高揚し、「今だー!!泣けーー!!」と勢いよく涙を流す努力をしていただろう。

 

色んな文章が僕に刺さったが、一番は「感情に従順な人間を僕は恐怖の対象として見ていた」かもしれない。

 

僕はあまり信用できない人と一緒にいる時に、感情をむき出しにすることに抵抗がある。だから笑いたい時に笑い、他人の目があることに気後れせず堂々と自分らしさを振り撒いている陽キャな人を見ると、羨ましさと妬ましさの感情が同時に沸く。

そしてその感情の裏にある本当の目的を考えてしまう。「この人どういうつもりでこんなに周りのこと考えずに大声出せるんだ?」みたいに。自分には到底理解できない陽キャに対する感情にうまく名前を付けられずにいたのだけれど、もしかしたらあれは恐怖だったのかもしれない。

 

ちなみにこのセリフには続きがあり、「感情に従順な人間を僕は恐怖の対象として見ていたが、そういう人間こそを尊いと思うようになった。」となる。

 

僕にも、こんな風に思える日が来るんだろうか。

 

【明日のこと】

中目黒にいる時に「未経験歓迎!」と銘打ちライターを募集している会社から、書類選考で落ちたことを知らせるメールが届いた。落ちたショックよりも、また就活が始まった絶望感の方が大きかった。

 

今日はとても歩いたので、明日は家でゆっくりする。(1,467文字)