マルは、自分で決めるもの

こんばんは、森林です。

今日は「自由を手に入れても何もできなかった自分」と「自分のマルを肯定したい話」です。

 

 

 

ニートの1日は4時間】

 

今月の12日に退職をしてから2週間が経った。仕事を辞めた直後は友人たちとシェアハウスをいている最中だったので、1人で自分のこれからについて考える時間もあまり無かった。仕事に行かなくても仲の良い友人がいたので、それだけで楽しかった。車で出かけたり、ご飯を作ったり、皆で映画を観たりした。学生のような自由で無責任な毎日を過ごした。

 

シェアハウスが終わり、実家に帰ってきたのは2日前だ。

今週の月曜日から実家で無職をしている。

 

 

仕事を辞め、無限とも思える「時間」を手にした僕。

だが、この3日間は殆ど何にもできなかった。

 

 

読みたいと思っていた小説を読みそびれた。書きたいと思っていた物語は3か月以上手を付けていない。「やりたいこと」だった「文章を書くこと」。

それに到達するよりも早く、スマートホンから流れるドラマやサッカーのプレー集に溺れてしまっている。

 

結局、「やりたいことがあった」のは当時の何もできない、暗い現実の最中にいる自分を認めたくなくて、どうにかしてキラキラしている自分になりたくて、夢を持っていただけなのかもしれない。いざ「なんでもやっていいよ」という状況下に置かれた僕は、何もできていない。

 

どっかの何かの記事で「ニートの1日は4時間で終わる」と書いてあったのだが、実際その通りな気がしてきた。今日はお出かけもしたし、夜ご飯も作ったし、ドラマも観たので4時間という訳は無いのだが、体感としてあっという間だった気がする。

 

やっぱり、人に会わないといけないのかもしれない。それも、自分を成長させてくれるような環境で、初めましての人に。でも前の職場では緊張することなんて一瞬たりとも無かったな。

 

ホストのローランドが「緊張は成長痛だ」って昔言ってたけど、緊張も何も無かったあの現場から離れたのは正解だったのかもしれない。

 

ニートの1日は4時間」と謳っていたその記事には、「無尽蔵な自由」よりも「不自由の中の自由」の方が尊いと書いてあった。ニートのようにずっと自由な状況でいるよりも、社会人のように不自由な環境に属しているからこそ、そこの隙間にある自由をより深く楽しめるという話だ。

 

実際、会社を辞めてなんでもできる環境にいのに、何もできない自分がここにはいる。6月の1ヵ月限定の一人暮らしをしていた自分。あの頃の僕は会社に行きながらも毎日ブログを更新していたし、本も読んでいたし、自炊までしていた。そういえばあの頃も平日は頑張って書けたブログが、土日には何故か書けなくなるんだった。

 

だから、結局僕は「追い詰められないとやらない人間」なのだ。これはもうしょうがないことだと思う。如何に準備が大事とか、先にやっていれば楽になると頭ではわかっているのだけど、やらない。やれないのだ。

 

 

【8月31日まで宿題をやっている自分だとしても】

 

それでも、良いんだ。テスト前日のギリギリまで部屋の掃除をしている自分だとしても、卒業の1週間前まで就活をしていたとしても、8月31日まで夏休みの宿題をやっている自分だとしても、良い。

 

だって、生きているから。自分の「良い」を大切にしながら、ギリギリではあるけれども、何とか生きている。

 

 

「締め切りギリギリまで課題が完成しない自分」は、おそらくずっとこのままだ。

大事なのは、そんな自分を肯定できるのか?ということだ。

 

 

 

ギリギリまでやらなかった自分だとしても、テストはこなしてきたし、就活も終わったし、宿題も終わった(多分)。それまでの課程がどうであれ、結局は成功を続けられている。学校や世間におけるマルを出せている。

 

ただ学校の成績にもS評価やB評価があるように、僕が出してきたマルは、完璧には程遠い。殆ど赤点ギリギリのB評価のマルばっかりで生きてきた。

 

それでも、きっと大丈夫。

 

S評価のマルでもB評価のマルでも、マルはマルだ。そして僕は課題や宿題、人生の選択が迫られた時は「S評価のマル」を狙うのではなく、「何でもいいからマル」を貰うようにしていた。

 

そしてそれは間違いではない。評価は違えど、マルはマルだ。GPAという成績の平均点は変わるが、卒業という学歴は変わらない。S 評価のマルを貰い続けた人と同じ「大卒」という学歴を手にすることが出来た。

 

勿論、結果が全てではないだろう。S評価のマルを貰い続けた人たちは「努力」ができる人たちだ。僕のように仕事をすぐやめることも無ければ、「やりたいこと」という不透明な目標を掲げて、人生のレールから外れることもしないと思う。世間的に見れば、S評価の人の方が幸せな人生を送れるに違いない。

 

 

【マルは、自分で決めるもの】

 

でも、「幸せな人生」って何だ?

 

それは誰にとっての「幸せ」で、誰にとっての「人生」なのか?

 

 

学生が終わり、社会人になった。それまでは先生がマルを採点し、評価してくれていた。

でも、自分のマルを評価しててくれる人は、もういない。

 

 

これから社会で生きていく僕たちは、自分のマルを自分で肯定していく必要がある。それをできるようになった時、「幸せ」なんだと思えるんだろう。

人によって何がマルかは違う。僕のようにとりあえずマルを出せれば良いって人もいれば、その都度の課題に対してS評価を取り続ける人もいる。

 

今の僕のマルは、自分で「やりたい」と言ったことを「やっている」にすることだ。明日はブログ、物語、小説を読む。昔僕が「やりたい」といったこれらを、「やれた」ことにしたい。(2,268文字)