「作者の書く文章に身を任せるのがええんやで」

こんばんは、森林です。

今日から「2,000文字~3,000文字」という制限を「1,000文字~2,000文字」に変更します。仕事を辞めて、これまでのような鬱憤やストレスが減ったので、吐き出す愚痴が無くなってしまいました。僕は、暗いというか、自分に厳しい環境にいる方が「書きたい」という気持ちが溜まっていくタイプなのかもしれません。

 

なので、今日からは1,000文字~を目安に書いていこうと思います。

 

今日は最近読んでる本についてです。

 

 

 

 

【昔の小説、むっず】

 

明治文学、読むのがかなり難しい。

 

今僕は夏目漱石の「それから」を読んでいる。友人に「明け方の若者たち」をおすすめしたら、じゃあこれを読んでほしい、と薦められたのがこれだ。ちなみに他の友人には「銀河鉄道の夜」を薦められた。

 

僕は昔小説を読むことにハマっていた時、ブックオフ川端康成の「雪国」を買った。「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」という書き出しが有名な本書だが、昭和中期に発売された小説なので、文章が少し古い。

 

そして、一文がとても長いので、非常に読むのが難しい。

 

「もう三時間も前のこと、島村は退屈まぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどころなくぼやけていく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の食感で今でも濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻に付けて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、そこに女の片眼がはっきり浮き出たのだった。」(雪国 からの引用)

 

この読点の多さといったら凄い。今の時代にこんなに長いテキストを公開したとして、最後まで読んでくれる人はどれだけいるんだろう。仮にTwitterに投稿したとしても、『「もう三時間」までは読んだ』みたいなクソリプが飛んでくること間違いなしだ。

 

僕は「現代小説だけじゃなくて昔の名作読んでる自分めっちゃイケてるな?」というやましい気持ちで「雪国」に手を出したのだが、「文章長いムズイ読めない無理」と30ページくらいで挫折してしまった。

 

そんな「雪国」よりもさらに40年前の小説を最近読んでいる。それが夏目漱石の「それから」だ。

 

 

「それから」も、難しい。文体が古いので、書体をいったん現代語訳したり、語彙を調べたりしながら読み進めているので、読むのにとても時間がかかる。

 

頑張りながら読んでいるけど、思ったようにページは進まない。

 

 

【かなり良いアドバイス

 

 

 

そんな思いにモヤモヤしている時に、「それから」を薦めてくれた友人に「全然読み進められない」と相談したところ、かなり良いアドバイスを貰った。

 

「文学だからって理解しようとしなくてもいいから、作者の書く文章に身を任せるのがええんやで」

 

僕は「文章を読む=全部理解する」という風に捉えていたのだが、そうでは無く、ただただ身を任せ、作者の文章を受けとめるだけで良いらしい。全部を理解しようとするから、全然読み進められなかったんだ。

 

「文章を味わう」みたいな言葉もあるように、食べた料理のレシピを全部説明できなくても、美味しいものは美味しい。そんな風に文章を読めばいいことを教えて貰った。

 

 

「本を読むことが好き」みたいに言うと「すごいね!活字が苦手で、全然読めないんだよね~」みたいな返事を貰うことが多い。多分その人たちも「文章を読む=全部を理解する」と捉えている気がする。要は真面目過ぎるのだ。

 

そうじゃなくて、その場にある文章を自然体で受けとめることが大事なんだと思う。その結果「難しくて良く分からない!」のであれば、それはそれで仕方ない。口に合わない料理があるのと同じように、完成に合わない小説だって沢山ある。

 

だから「活字が苦手」のように思いこんでいる人は、肩の力を抜いて、目の前の文章を受けとめることだけを意識してみては、どうだろうか。

 

 

 

 

友人のアドバイスを貰って以降、「それから」を少しづつではあるが、読み進めている。なんとか読み終わりそうだ。

いつか「それから」の感想みたいなのもブログとして更新したいな。(1,726文字)