10月14日

色々あったと言われれば色々あったが、そんなに?と言われればそうでもない

 

 

 

【10月12日】

 

10月12日は高校の友達の家でベランピングをした。ベランダにホットプレート敷いて、肉焼いて酒飲んでタバコ吸って。僕はビールを一缶飲んで眠たくなってしまったので椅子に包まって30分くらい寝ていた。寒すぎず、風も吹きすぎず、良い気温だった。

 

【10月13日】

 

Oが仕事へ出掛けたので残されたEと二人で過ごした。昼飯にカレーを食べたり、カフェに行って本を読んだり。散々撮っていたフィルムカメラを感光させてしまった(3年ぶり2度目)ので、テンションがかなり下がってしまったけど、それなりに良い日だった。

 

【今日のこと】

 

今日は10時に起きて、ご飯を食べて、洗濯物を干して、食器を洗って、これから人に会う。それまでにはまだ少し時間があるので、その間に応募しようとしている会社の2つへの文章を考えたい。

 

毎日更新を続けていたこのブログだけど、目的は脳内の思考を整理することだった。でも毎日頭を必死に動かして生きているわけでもないし、昨日と今日を比べてみて、自分という人間に何か進歩があったわけではない。

 

受けることになるかもしれないSPIのテキストを読んでみても、啜るかもしれない社会の泥水のことを想像してみても、今の自分に必要だと思えなくて全く身が入らない。皆が嫌なことから逃げずに社会のストレスと戦っている中で、2ヶ月も働かずにプラプラしているのは、間違えなく両親のお陰だ。

 

そんなことを考えていると、まるで自分が「それから」の代助のような気がしてくる。彼は結局家族にも勘当され好きな人とも結ばれず、齢30にして一人になるんだっけ。

 

今から100年以上前の小説に自分を重ねるなんて、どうかしてしまっている。そしてあれもこれも「普通な社会人」になりたくなくて、必死に抵抗しているだけだ。

 

小説も指輪もフィルムカメラも古着も時速36kmもnoteも、全部そう。結局キャラ付けの為だけにそれらを身にまとっている。最近、Kに言われた自分は空っぽだという言葉をひしひしと実感している。そして僕は周りに影響されていることを自覚し、流れに身を任せて生きていけるほど賢くないんだ。どうあったって大勢の人たちとは一緒になりたくないし、満員電車に乗って毎日を消費する生き方を歩きたくない。

 

こういうことを言えるのは結局、我儘を言ってられる若者のうちだけだし、自分の力だけで生きる大変さを知らないからこんなことを言ってしまう。何年後かにこのブログを読んで「この頃は若かったな」とか思ってしまうのかな、俺は。

 

せめて今好きな音楽や小説を嫌いにならないでほしいし、大切な人とは関係を続けていたいし、今の自分が好きなものを何年後かの自分も好きでい続けていてほしいな。(1,159文字)