9月30日

9月が終わる!間に合え!

 

 

 

【今日のこと】

10時頃に起きた。ご飯を食べ、去年のM-1でのニューヨーク屋敷の「最悪や!」が見たくなったのでアマプラでM-1を観てた。ミルクボーイやっぱ面白かった。

 

13時前に家を出た。昨日「劇場」を見た影響か分からんけど、髪を結いたくなったので、ちょんまげスタイルにした。

 

渋谷ビレバンに行ってジャルムを買い、銀座に移動して写真展を2つはしごした。本当は日比谷にある屋外観覧場?みたいなところに行きたかったんだけど、時間が無かったので行けなかった。

 

浦安に戻ってきて、スタバで就活のこととかnoteに溜めてあった記事を読んだ。結構ちゃんと頭を使った。

 

中学の友達のKとWと合流して、定食屋さんに行ってからバーに行った。チキン南蛮は美味しかったし、モスコミュールと梅酒も美味しかった。タバコが吸えるし、良いバーです。顔を覚えてもらっていたのが地味に嬉しかった。

 

解散した後で、コンビニに行ってKと少し話した。飲み終わったR-1にタバコの吸い殻を入れるのは台無しにしている感じがしてなんかよかった。

 

【人として尊重する】

 

今日は色々な話が出来たので良かった。話がしたいと呼び出したのは僕なんだけど、恋愛の話とか、フェミニストの話とか、小説の書き方の話とか、トラウマの話とか。

 

僕は性暴力に関する記事を読んでから、性被害に対して一番関係ない立場の僕だけど、知らず知らずのうちに加害者になってしまっているんじゃないかと怖くなった。というか実際加害者になったことが何回かある。

 

それが怖くて、街中でそういう表現をしているモノを目にするたびにひどく落ち込んでしまっていたんだけれども、Kに言われた「性別に関係なく他人を尊重する想いを持っていればいい」という言葉のおかげで、とても楽な気持ちになれた。

 

「誠実に」とか「尊重する」とか。小学校の時に習った言葉で簡単な意味だけど、実践するのは難しい。「難しいけど、単純だ」みたいな話。

 

そういうのを破りながら生きる楽しさを思い知ってしまっているので、みんなまるっと「誠実・尊重キャンペーン」を行って、そうじゃない生き方してるのダサいぜ?みたいな雰囲気になればいい。でもこっちが正しいってわけでもないんだよな。

 

自分が正しいと思うことを信じながら、立場の違う人たちへの理解を諦めずに生きたい。

 

【好きとか付き合いたいとか】

 

「好きな気持ちに名前を付けることは野蛮」だ。独占欲とか、自分のものにしたいって気持ちの表れが「付き合いたい」とか「彼女」って言葉として表現される。

 

最近のマイブームは、その人が好きかどうかをはっきりさせる方法を他人に聞くこと。Oは「そいつが来いって言ったらすぐに行ける人」って言ってたし、Kは「ふとした瞬間に旅行とか買い物とか、日常の場面にその人といる瞬間を考えてしまうこと」と言っていた。前者は自分の気持ちを確かめる方法だし、後者は自分の直近の思考への振り返りだ。

 

後は「I love you」じゃなくて「I need you」だ。と言っていた。これはかなり良いです。

 

【トラウマが無い】

僕には明確なトラウマが無くて、確かに学生時代に嫌なことや自分のことが嫌いになる時期とかもあったけれど、全肯定最高オカンや尊敬してる友人に囲まれたお陰で今日もハッピーに生きている。ハッピーに生き続けてきたわけではないけど、いまがハッピーだから何でもいいって感じだ、僕は。

 

最近話す友達にはそうではない人も多い。昔のトラウマが故に幸福の獲得の仕方や、これからの生き方が限定的になっているという話をした。

 

そいつらとは信頼関係があるので「それは変わらない自分への良いわけでは?」みたいにとんでもなく酷いことが言えるんだけど、彼らが言ってほしい言葉は絶対にこれじゃない。僕は立場が違う人に対しての話の聞き方が下手だ。すぐに自分に置き換えて解決策を講じてしまう。

 

相手が欲しい言葉をうまく提供できなかった時に凄く悲しくなる。ごめんね、とか、申し訳ないな、と心の底から思う。僕が好きな人たちは僕が知らない痛みや苦しみがあって、それを和らげる存在として僕がいる筈なのに、それを達成できない僕には意味が無いとすら思ってしまう。

 

だったら最初から関わらないか、もっと浅いところでの付き合いに留めるかに限定するか、どちらかだ。

 

でもこれは僕の主観で考えた話なので、彼らがどう思っているかは知らない。一緒にいるだけで良いと思ってくれているかもしれないし、彼らが欲してくれた時には面白い話の1つや2つを提供できる僕でいたいです。

 

今日はいろんな話が出来たので沢山書けた。明日も生きるぞ~(1,905文字)