12月18日、1人称

書きたいことを書いた。全部フィクションです。

 

【一人称】

 自分の世界の中で起きたことは、自分の言葉でしか説明できない。その心情や内面にあった事象が自分の外で起きたとしても、それはそれとして捉えるしかない。飲み会の帰り道に見上げた星空があまりにも綺麗で、自分の胸を打ったとしても、それは星空のことを綺麗だと捉えたいが故であり、実際にはいつも見ているような星空であったかもしれない。外側の世界や取り巻く環境に自分が作用されたと錯覚してしまうが、それは誤りで、いつだって世界は自分を中心に動いているし、自分が見たいようにしか世界は動いていない。見たいように見、聴きたいように聴き、感じたいように感じる。そういうことになっている。

 

 

 


 大学の友人の橋本と高校の友人の伊藤を会わせようと開いた飲み会は、伊藤の「ごめん、俺帰るわ」という一言によってお開きになった。橋本とは先週も先々週も酒を酌み交わしているのでこれといって話すことも無く、それはそれで仕方のないことのように思う。

 

 伊藤が最近仲良くしている女の子(これも高校の友人で私とも友人、かつてのクラスメイトという関係性に当たるのだが)から伊藤に「今から会えない?」と連絡があった。私としては偶発的に発生した友人の恋愛イベントに対して、引き留める義理も権利も無い。いきなりかかってきた電話に高揚し鼻の下を伸ばしている彼の顔は忘れられないだろう。


 「そうではない組」だと思っていた友人が「そういう組」にいきなりジャンプしてしまったので、残された橋本と私は藤井風よろしく何なん?と毒づくことしかできない。それでもどうにかして「そういう組」になりたい私たちは苦肉の策(お酒の勢いでしかできないチキンな策)としてSNSで今から飲める人?と募ってみたり連絡しやすい女の子にいきなり連絡してみたりした。


 直接連絡してみた女の子の反応は(悲しいことに)いつも通りであったが、反してSNSでの反応は良かった。中学の時に少し付き合っていた女の子から「暇なので飲みに行けるよ~」と連絡があった私は、橋本との飲み会を早々にお開きにして、その女の子が待つ駅へと向かうことにした。私の顔も伊藤と同じような顔をしていたに違いない。


 自分の感情の正直なところは分からなかったが、そういう展開になるのであれば抱きたいと思っていた。もう暫くセックスをしていない。女性ホルモンが出ているだとか、好みのタイプであるだとか関係無しに、出来るのであればセックスはしてみたかった。そして金曜日のこの時間から飲みに行ける異性に対して、向こうも同じような気持ちであることを信じて疑わなかったのである。


 最初に「ん?」と思ったのは、彼女が自転車で来たことだ。彼女の家から駅までは歩いて十五分ほどであり、特段自転車を使う距離でもない。にも関わらず彼女が駅まで自転車で来たということは「私は自転車で帰りますよ」という意思表示に他ならないだろうか。


 それでも十時半からのサシ飲みで、そういう展開を期待していない女子がいるのだろうか。男子女子関係なく人間には元来性欲というものが備わっている筈であり、それらを抑制してくれる理性は酒によって曖昧になるのである。橋本と酒を飲んだ私も、家で一人で酒をあおっていた彼女も、そこのスタート地点は同じであるように思えた。


 居酒屋に入り、とりあえず容姿を褒めておこう、と爪を褒めた。女という生き物は爪に色を塗るのが好きだ。化粧という点なら理解できる。が、爪に色を塗ったとてどういう効果があるのだろうか。綺麗にした部屋ほどゴミが気になるように、綺麗に塗りたくった爪が剥げるのは心地いいものでは無いと思う。だったら初めから何も塗らない方が良いのではないだろうか。

 

 とこんな風に考えている私ではあるが、女性が綺麗になるための工夫に関して否定することはない。寧ろ誰の為でもない、自分の為にする化粧、爪、お洒に関しては自己肯定感を上げる方法が幾つもがあって羨ましいなとすら思う。例えば、一時を回った飲み会の途中にお手洗いに行き、口紅を塗り直して席に戻ってくる女性。こんな人が、私は好きだ。


 このような思考のもと、彼女の爪を褒めたのだが、返ってきた返事は「彼氏いるからノーチャンだからね」だった。私が「そういう組」になりたくてSNSに投稿していることなぞ始めから解っていたような口ぶりだった。そういうつもりで連絡したとはいえ、そういう風に思われていることは不服だった。


 ただ、彼氏がいることに多少は驚いたものの、それについて深刻なダメージを受けるまでには至らなかった。それは自分の中合理的思考がセックスの面倒臭さや過去の経験によって裏付けされたような感覚であり、イソップ寓話で葡萄をつかめなかったキツネが「あの葡萄はどうせ酸っぱいさ」と諦める感覚に似ていた。どうしても、と躍起になってそちら側に行こうとするより、この現状を甘んじて受け入れ、このままでいる方がエネルギーを要しない。そんな風に自分の中で結論付けたのかもしれない。


 その後は地元の共通の知人に連絡を取り、何人かで飲むことになった。当たり障りも無い、けれど地元の確立されたノリというのは不思議と心地が良く、一時間があっという間に過ぎた。お会計は私が皆よりも少し多く支払った。


 帰り道、地元の友達と歩いて帰った。「恋と愛の違いとは」「自分の観たいように世界を観ている」など、色々な話をした。彼と話していると、私の中の重心があるべき場所に落ち着くような、そんな不思議な感覚になる。


 彼との話に感化され、家に帰って文章を書こうと思った。冒頭の世界観に戻る。(2,306文字)