1月4日、初詣

初詣に行きました。大吉でした。

 

 

 

【今日のこと】

 

昼前に起きて、ご飯を食べて、2度寝して、起きて、16時半くらいに「そういえば初詣行ってないな」と思って近所の神社に初詣しに行った。三が日明けの平日の夕方に神社に行く人なんて全然いなくて、夕焼けと鳥居と閑散とした境内を見て、何か少し懐かしくなった。

 

小学校2年生くらいまで家とは反対方向にある神社でよく遊んでいた気がする。保育園が近かったからかな?神社を取り囲むようにして植えられていた墓石に似た灰色の柵に、赤い文字で神社の名前が書いてあったような気がする。境内には何か良い事が書いてある大きな石が書いてあって、今思えばあれは慰霊碑のようではあったのだけれど、それによじ登ったり周りを駆け回ったりして遊んでいた。誰と遊んでいたのか、何歳までそこにいたのかは全く思い出せない。けれど中学生の時に自転車で近くを通ったら、それら全部が小さくなっていて、何か少し寂しくなった。

 

手水舎(手洗う場所)には手をゆすぐための竹の棒が置いてなかった。そこの近くに本厄早見表なるものが置いてあった。昨日会った同い年の友達が「俺ら今年本厄らしいよ」と言っていたので厄年であることは知っていたが、早見表を見てその実感がさらにわいた。でもどんなに辛いことや悲しいことがあっても「今年は厄年だからしょうがない、来年は良い事あるさ」と厄のせいにできるのはある意味物凄くラッキーなことではないだろうか。

 

お賽銭箱に50円を入れて参拝をした。住所と去年の感謝と今年もなんやかんや楽しく生きれたら良いよね、みたいなことを言った。参拝の時って日頃の感謝を伝えるのがいいらしいけど、「○○が叶いますように」ってお願い事をすることが悪いとも思えないな。最早そこまで純粋に願いごとがあるって素敵なことだよな。これは皮肉では無い。

 

おみくじを引こうと思ったけれど財布に100円が入ってなかったので、お札を崩すために近くの自販機でココアを買った。出てきた100円でおみくじを引いた。大吉だった。確か、高校1年生の時に友達と浅草寺に行ったときのおみくじが大吉で、初詣で大吉が出るのはそれ以来な気がする。嬉しかったけど、この喜びを誰にも自慢できない悲しさもすぐやってきた。

 

「願い事が叶う」だの「登り竜のような1年」だの縁起の良い事が沢山書いてあった。恋愛の欄に「プラトニックな恋愛をしましょう」と書いてあって、おみくじがプラトニックなんて言葉を使うなよと思った。

 

神社を後にして川沿いで一本タバコを吸った。夕焼けが綺麗だったし、タバコは美味しかった。何か、それだけで良いのに、とずっと前から思っていた気がしている。(1,141文字)